夭折の天才詩人、中原中也さんの"一つのメルヘン"を朗読しました。この詩を朗読する度に浮かんでくるのは宮沢賢治さんの銀河鉄道の夜でした。もし中也さんが宮沢さんの作品を一つのメルヘンと感じていたなら、この詩は"もう一つのメルヘン"だったのではないかと考えているのです。
河原は銀河、陽は月光、蝶は己、影は生命、川は涙。そのように変換して当てはめていくと私はしっくりときました。又、さらさらという透明さが無垢なるものを想っているようにも感じるのです。夜空に向かってふと広げた腕、羽を得たような気分になり、なんだか飛べそうな気もするのですが、この影がある故に俺はまだあの銀河にはまだ行けないのだと悟るのです。故人をいくら想えど、こうして眺め続けるしかない気持ちが涙として溢れたのではないでしょうか。
一つのメルヘンは亡き弟を想う鎮魂の詩であり、己が生きている内はずっとこうして夜空を見上げて涙を流し続けないといけないのかという哀哭の詩でもあると解きました(個人的見解によるものなので、どうか温かい目でよろしくお願いします)。
中也さんの最大の理解者、評論家の小林秀雄さんはこの詩を「最も美しい遺品」と言われたそうです。最後まで読んでくれてありがとうございました。それではまた。
それに
さらさらと
さればこそ、さらさらと
かすかな
さて
やがてその
さらさらと、さらさらと