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中原中也さんの詩集在りし日の歌から、"ゆきてかへらぬ ――京都―― "を朗読しました。中也さんの元恋人、長谷川泰子さんが執筆した、「中原中也との愛:ゆきてかへらぬ」でも同じ題名が使われていますよね。あの頃はニ度と帰っては来ないと題した詩には、名状しがたいすっぴんの中也さんを垣間見た気がします。
この詩を朗読していると、中也さんの京都での青春の日々を感じ取れるようでした。内容は「僕は此の世の果てにゐた」から始まり、「希望は胸に高鳴つてゐた」で終わっています。そして日が西へ傾き、ぽつぽつと星々が輝きを取り戻したら、天上の世界を想像しています。世にも不思議な公園というのは、この世とは違う別の世界、銀色の蜘蛛の巣とは、涙ぐんだ視界に映る夜空と解釈しています。
ゆきてかへらぬ ――京都――
僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り洒ぎ、風は花々揺つてゐた。
木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々と、風車を付けた乳母車、いつも街上に停まつてゐた。
棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者なく、風信機の上の空の色、時々見るのが仕事であつた。
さりとて退屈してもゐず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食すに適してゐた。
煙草くらゐは喫つてもみたが、それとて匂ひを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかつた。
さてわが親しき所有品は、タオル一本。枕は持つてゐたとはいへ、布団ときたらば影だになく、歯刷子くらゐは持つてもゐたが、たつた一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだつた。
女たちは、げに慕はしいのではあつたが、一度とて、会ひに行かうと思はなかつた。夢みるだけで沢山だつた。
名状しがたい何物かゞ、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴つてゐた。
* *
*
林の中には、世にも不思議な公園があつて、不気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩してゐて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情してゐた。
さてその空には銀色に、蜘蛛の巣が光り輝いてゐた。
この朗読を録音した晩。名前のない夜に月明かりはなくて、白熱灯の明かりが部屋の全体を暖色に染めていました。中也さんの詩集を読みながら思ったのは、私はこんなにも強く、中原中也に会いたいと願っているのに、私の想いはこの先もずっと届くことはなく、こうして残された血肉をなぞりながら馳せるのだと、そのようなことを考える夜でありました。
いつの間にか朗読を毎日するようになりました。元々はわたくし、黙読にはひどく自信がありますと、おかしな主張をする人間でありましたが、表現者として学んでいく過程の中で、どなたか聴いてくれる人がいるという温もりは、何よりも強い原動力となっていました。顔も名前も知らない貴方に向けて、私は精一杯、詩人たちの声帯になることを努力します。
心を震わせる素晴らしい詩の数多に、時折、私が朗読しても良いものだろうかと、怖気づいたりもするのですが、詩人は恐らく誰一人として例外はなく、自分の詩を一人でも多くの人に読んでもらいたいと、そう願っている気がしています。その想いが特に強く、最も強く詩に表れているのが、夭折の天才詩人、中原中也さんではないでしょうか。誰かを求めれば求めるだけ遠くに感じて、伝えたいことが上手に伝えられず、いつも口惜しい思いをされていた中也さんの詩が、私は大好きなのです。
最後まで読んでくれてありがとうございました。朗読を公開してから四ヶ月が経ちました。多くの方に再生していただいて、評価していただいて本当に嬉しいです。私はこんなにも幸せで良いのでしょうかと、感謝の想いを噛み締めています。これからものんびりと活動していきますので、どうぞよろしくお願いします。それでは又。