想望手記

統合失調症と共に日々を生きていくブログです。中原中也さん他、近代詩の朗読も配信しています。

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ゆきてかへらぬ ――京都―― - 中原中也|詩の解説

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 名前のない夜に月明かりはなく、白熱灯の明かりが部屋の全体を暖色に染めていました。中也さんの詩集を読みながら思うことは、私はこんなにも強く夭折の天才詩人中原中也に会いたいと願っているのに、私の想いはこの先もずっと届くことはなくこうして残された血肉をなぞりながら馳せると、そのような夜でありました。

 朗読は毎日しています。毎日するようになりました。元々はわたくし黙読にはひどく自信がありますと、おかしな主張をする明後日人間でありましたが、小さな表現者として学んでいく過程の中で、聴いてくれる人がいるという温もりは何よりの原動力となっていたのです。顔も名前も知らない貴方に向けて、私は朗読家として精一杯、詩人たちの声帯となることが全てと思っています。

 

 心を震わせる素晴らしい詩の数多に、時折私が朗読しても良いものだろうかと怖気づいたりもするのですが、詩人は恐らく誰一人として例外なく、一人でも多くの人に読んでもらいたいと願っている気がするのです。それが特に強く最も強く詩に表れているのが夭折ようせつの天才詩人中原中也さんではないでしょうか。誰かを求めれば求めるだけ遠くに感じて、伝えたいことが上手に伝えられず、いつも口惜しい思いをされていた中也さんの詩が私は大好きです。

 

 今回はそんな中原中也さんの詩を朗読しています。在りし日の歌から"ゆきてかへらぬ ――京都―― "です。中也さんの情人、長谷川泰子さんが書かれた「中原中也との愛:ゆきてかへらぬ」でも同じ題名が使われていますね。あの頃はニ度と帰っては来ないと題した詩には、名状しがたいすっぴんの中也さんを垣間見た気がします。

 この詩を朗読していると京都での青春の日々を感じ取れるようでした。「僕は此の世の果てにゐた」から始まり「希望は胸に高鳴つてゐた」で終わっています。そして日が西へ傾き、ぽつぽつと星々が輝きを取り戻したら天上界の世界を想像しています。世にも不思議な公園というのは、この世とは違う世界、銀色の蜘蛛の巣とは涙ぐんだ視界に映る夜空と解釈しました。

ゆきてかへらぬ
          ――京都きょうと――   

 

 ぼくてにゐた。温暖おんだんそそぎ、かぜ花々はなばなゆすつてゐた。

 木橋きばしの、ほこりは終日しゅうじつ沈黙ちんもくし、ポストは終日しゅうじつ赫々あかあかと、風車かざぐるまけた乳母車うばぐるま、いつも街上がいじょうまつてゐた。

 人達ひとたち子供等こどもらは、街上がいじょうえず、ぼく一人ひとり縁者みよりなく、風信機かざみうえそらいろ時々ときどきるのが仕事しごとであつた。

 さりとて退屈たいくつしてもゐず、空気くうきなかにはみつがあり、物体ぶったいではないそのみつは、常住じょうじゅうしょくすにてきしてゐた。

 煙草たばこくらゐはつてもみたが、それとてにおひをこのんだばかり。おまけにぼくとしたことが、戸外こがいでしかかさなかつた。

 さてわがしたしき所有品もちものは、タオル一本いっぽんまくらつてゐたとはいへ、布団ふとんときたらばかげだになく、歯刷子はぶらしくらゐはつてもゐたが、たつた一冊いっさつあるほんは、なかなにいてはなく、時々ときどきにとりその目方めかた、たのしむだけのものだつた。

 おんなたちは、げにしたはしいのではあつたが、一度いちどとて、ひにかうとおもはなかつた。ゆめみるだけで沢山たくさんだつた。

 名状めいじょうしがたい何物なにものかゞ、たえずぼくをば促進そくしんし、目的もくてきもないぼくながら、希望きぼうむね高鳴たかなつてゐた。

           *             *
                  *

 はやしなかには、にも不思議ふしぎ公園こうえんがあつて、不気味ぶきみほどにもにこやかな、おんな子供こども男達おとこたち散歩さんぽしてゐて、ぼくわからぬ言語げんごはなし、ぼくわからぬ感情かんじょうを、表情ひょうじょうしてゐた。

 さてそのそらには銀色ぎんいろに、蜘蛛くもひかかがやいてゐた。

 

 ご視聴ありがとうございます。朗読を公開してから四ヶ月が経ちました。多くの方に再生していただいて、評価していただいて本当に嬉しいです。私はこんなにも幸せで良いのでしょうかと、神様のご機嫌を伺いながら想いを噛み締めています。これからもゆっくりと活動していきますので、どうぞよろしくお願いします。最後まで読んでくれてありがとうございました。それでは又。