中原中也さんの名詩、"湖上"を朗読しました。中也さんがこの詩を書かれたのが昭和五年なので、長谷川泰子さんはもう中也さんの腕の中にはいません。そして小林秀雄さんの傍にもいないのです。演出家との子供を身籠った泰子さんに対して中也さんは一体何を思っていたのでしょうか。
この湖上はそんな泰子さんに向けての想いを描いていると解釈しています。もしあの時こうであったなら違った未来もあったのだろうと、そのような中也さんの声が聞こえてきそうでありました。
月を見て思い出したのは泰子さんの儚げな笑顔でしょう。誰にも邪魔されず二人だけで出掛けましょう。人波を縫って進んで行けば喧騒も少しはあるのでしょう。
そうして街から離れると静かでしょう。貴女の声はとても小さいのでこうして耳を寄せて聴くのでしょう。言葉の途切れ間に私も小声で話すのでしょう。貴女は少しかがんで聴いてもくれるでしょう。そうして私にくちづけをするでしょう。私はいつも貴女を見上げていたのです。
貴女が私といてくれた頃、私はもっと貴女のお話を聞いてあげれば良かったのです。しかし幼い私はそれが読書や詩作の邪魔をしているとしか思えなくて、何かする手をいちいち止めては面倒くさそうに貴女の声をじっと睨んでいたのです。今なら洩らさず聞いてあげれるのに、貴女はもう二度と私の手を握ってはくれないのです。
月が綺麗であります。今の私には貴女の幸せを願うことしか出来ません。それでも何かの奇跡が起きて、聖母(サンタ・マリヤ)がもう一度私を愛してくれるのなら、私は貴女方の船となりましょう。波からも、風からも、大きな私が守ってあげるでしょう。たくさんのごめんなさい。心よりお慕い申し上げます。
という読み解きをしました。何年先かわからないけれど泰子さんはこの詩を読んでいたと思います。その時に泰子さん何を感じたのでしょうか。そしてこの湖上がもしも結婚前の泰子さんに届いていたのなら、二人の未来は大きく変わっていたのかもしれません。私はそのようなことを夢想してしまうのでした。
最後まで読んでくれてありがとうございました。今を大切に生きていますが、それでも失っていくものは多くあり、それが大切だと気づくのは決まって失ってからであるのでしょう。心を込めて読み解き通りに朗読しました。良ければきいてください。それでは又。
ポッカリ
――あなたの
すこしは
われら
あなたはなほも、
よしないことや
――けれど
ポッカリ