中原中也さんの詩集"山羊の歌"より『都会の夏の夜』を朗読しました。「月は空にメダルように」と印象的な書き出しで始まるこの詩は東京が舞台となっています。拙い解説になりますがどうぞ最後までお付き合いくださいませ。
最初に中也さんが月をメダルと表現しているのは、大都会の外燈がきらきらと輝いていたので月が驚くほど小さく見えたのではないでしょうか。つまり月が小さく見えたののは外燈の光の加減であると読み解いています。
建物をオルガンとしているのは、鍵盤のように縦長でかくかくとしている街並みを現しています。続いてハイカラのイカ胸が曲がっているのは、疲れ切っている人やお酒に酔っている人等、つまりパリッとした服でしゃきっと歩いていない人たちのことです。
その人たちが口が開きっぱなしに見えるくらいのお喋りを続けていて、でもそれはラアラアワアワアと楽しんでいるというよりは何処か悲しいものに感じました。その様子を土塊のように一つとしているのは都会と夏の夜の更けであるのです。
そして死んだ火薬とは自身のことを指しています。中也さんはこの無数にある外燈と鍵盤を見上げながら、私も結局はラアラアと唄っている塊の一人でしかないのだと歩き出したのです。これは皆と同じように都会の塊になっていることを嫌がっているのではありません。自身が都会の夜に紛れて馴染んでいることを喜んでいるのだと解釈して朗読しています。
最後まで読んでくれてありがとうございました。近年、大都会で月を見ようと思ったら一苦労だと思います。私の住んでいる場所はほとんど街灯がないので月がとても大きく見えます。山口の月、京都の月、そして東京の月。中也さんが見た都会の月は空にメダルのように浮かんでいたのですね。それでは又。
――イカムネ・カラアがまがつてゐる――
その
その
ただもうラアラア
ただもうラアラア