想望手記

近代詩の朗読と詩の解説。中原中也さん等。

想望手記

骨 - 中原中也|詩の解説

www.youtube.com

 

 中原中也さんの"骨"を朗読しました。初めてこの詩に触れた時は、中也さんの激しい自嘲を感じて苦しくなったのを覚えています。しかし、そういった後ろ向きの詩ではないと気づいたのは、しばらく経ってからのことでした。

 言葉のままに読み解いていくと、詩人は霊魂となって自分の骨を眺めている、という内容になりますが、私は何だかそうではない気がしているのです。これは恐らく逆で、汚らわしい肉をまとって生きているのが過去の自分であり、雨に洗われて骨となったのが今の自分としているのではないのでしょうか。

 つまり中也さんは、自分を見つめ直していたのではないでしょうか。そして生きていた頃というのが、皮肉にも幸せな時だったのかもしれません。心を込めて朗読しました。よければきいてください。

 

 そういえば、中也さんの大好きな三つ葉のおしたしを読めて嬉しかったです。実際に口にしてみたいのですが、なかなか機会がありません(2023年追記:偶然に食べる機会がありまして頬張りました。とても美味しかったです)。

 それとユーチューブのご視聴、評価、コメント等、いつも本当にありがとうございます。とても励みになっています。これからも少しずつ前進していきますので、どうぞよろしくお願いします。最後まで読んでくれてありがとうございました。それでは又。

 

ほね

 

ホラホラ、これがぼくほねだ、

きてゐたとき苦労くろうにみちた

あのけがらはしいにくやぶつて、

しらじらとあめあらはれ、

ヌックとた、ほねさき

 

それは光沢こうたくもない、

ただいたづらにしらじらと、

あめ吸収きゅうしゅうする、

かぜかれる、

幾分いくぶんそら反映はんえいする。

 

きてゐたときに、

これが食堂しょくどう雑踏ざっとうなかに、

すわつてゐたこともある、

みつばのおしたしをつたこともある、

おもへばなんとも可笑おかしい。

 

ホラホラ、これがぼくほね――

てゐるのはぼく? 可笑おかしなことだ。

霊魂れいこんはあとにのこつて、

またほねところにやつてて、

てゐるのかしら?

 

故郷ふるさと小川おがわのへりに、

なかばはれたくさつて、

てゐるのは、――ぼく

恰度ちょうど立札たてふだほどのたかさに、

ほねはしらじらととんがつてゐる。

 

りしうたより