中原中也さんの詩集、山羊の歌から"少年時"を紹介します。この詩は中也さんの少年の頃を書いています。ただ真っ直ぐにそうではなく、詩の中に長谷川泰子さんと別れた後の様子が表現されているのではないかと感じているのです。
始まりの"あをぐろい石"とは木炭であり、つづく夏の陽というのは燃えるような嫉妬心です。庭の地面とは火鉢のようなものでしょうか。木炭にかすかな火が宿って朱色に眠っていた。この眠っていたという表現は、風の流れに合わせて木炭が明るくなったり暗くなったりしている様子、眠っている人間の呼吸のようなものを現しています。
地平の果てに蒸気が立って、世の滅ぶ兆しのようだった。この蒸気はやかんから出ています。その音でふと我に返るのです。この部屋にはもう私一人しかいない。恐らく時刻は夜です。世界が終わったような孤独感を感じています。
麦田は小林秀雄さんのことで、小林さんを麦田としているのは読書量や知識の多さからでしょう。又おぼろとありますので、小林さんへの嫉妬心が消えかかっているのか、まだ燃え続けているのか、どちらとも言えない様子です。
次の巨人とは泰子さんと一緒に暮らしていた頃の自分です。その時の中也さんは自信に満ち溢れていました。今の自分と比べているので昔の巨人としているのだと思います。「私は今、生きているのだろうか」と、そのような声が聴こえてきそうです。そうして夜は更けていきいつの間にか眠っていました。
ふと目が覚めたのは夏の日の昼過ぎでありました。誰彼の昼寝する時と書いてありますが、きっと泰子さん一人のことでしょう。いつもそこで寝ていた泰子さんの寝顔を思い出したのです。希望とはまた二人で暮らせる未来です。しかしそうすると小林さんは悲しい思いをします。故にこのような思いは自分だけで十分なのだと諦めるのです。
まるで魂だけが死んでいるような私でありますが、私はこの世界で生きておりました。まだどうにか生きておりました。
中也さんの少年時代の思い出に泰子さんとの青春がたしかにあったのですよね。拙い解説でしたが最後まで読んでくれてありがとうございました。私はこのように読み解きました。それでは又。
おぼろで、