中原中也さんの有名詩"月夜の浜辺"を朗読しました。近代詩を開いていく中で口語で書かれていると安心します。この詩が発表されたのは昭和12年のはじめですが、この詩が書かれたのはいつ頃なのでしょうか。恐らくは文也さんが亡くなられた後に書かれた詩だと思うのです。
月明かりに照らされた浜辺を歩いていると、ふと砂に紛れて埋もれているボタンを見つけました。私はそれを何気なく拾い上げて、また捨てようとして伸ばしかけた手が不意に止まりました。洋服ボタンの役目を終えたこの物体は、たしかにボタンの形をしているのだけれど、このまま波打ち際に落ちていたとしたら、これはまことにボタンと言えるのでしょうか。それはもう規則的な塊でしかないのではないでしょうか。そのような螺旋思考の最果てに私はこのボタンを袂に入れたのでありました。
かといって何かの洋服につけてやろうとは思わず、波に向かって放り投げようとも思えず、私はこのボタンの最後にただただ哀しく寄り添うだけなのでありました。何故こんな寂しい場所で月明かりを浴びて輝かなければならないのです。ただ紡がれた糸がほどけただけなのに、どうしてこのような場所で私に拾われなければならないのでしょうね。それを偶然とするのか運命とするのかも今の私にはきっとわからないのです。わかりたくもないのです。もうきっと大丈夫であります。そのようなボタンをどうして捨てられましょうか。
という解釈を私はしました。波打ち際で拾ったこのボタンの役割はもう終わっているのだと思ったのです。つまりは死んでいるボタンなのです。故にボタンを見捨てる理由というのが、ボタンの代わりはいくらでもあるのだろうかと中也さんは考えてしまったのではないでしょうか。そしてこの代わりという言葉に引っ掛かりを覚えて捨てることが出来なかったと読み解いたのです(文也さんが亡くなった時、妻の孝子さんは次男を妊娠しておりましたので)。
拙い記事でしたが最後まで読んでくれてありがとうございました。この月夜の浜辺は冬の長門峡と同じ響きを持った詩だと感じています。心を込めて朗読しました。良ければきいてください。それでは又。
それを
なぜだかそれを
それを
どうしてそれが、