月明かりに照らされた浜辺を歩いていると、砂に紛れて、埋もれているボタンを見つけました。私はそれをふと拾い上げて、すぐにもとに戻そうとしたのですが、伸ばしかけた手が不意に止まりました。
ボタンの役目を終えたこの物体は、たしかに今、こうしてボタンの形をしているのだけど、このまま波打ち際に落ちていたままだとしたら、これは真にボタンと言えるのでしょうか。それはもうボタンではなく、塊でしかないのではないでしょうか。
私はこのボタンを袂に入れることにしました。かといって、何かの洋服につけてやろうとは思わず、勿論、波に向かって放り投げようとも思えず、私はこの役割を終えたボタンを抱いて、ただただ、寄り添うだけなのでありました。
お前は何故、こんな寂しい場所で月明かりを浴びて輝かなければならなかったのでしょうね。紡がれた糸がほどけただけなのに、どうしてこのような場所で私に拾われなければならないのでしょうね。それを偶然とするのか、運命とするのかも、この月夜ではどうでも良いことなのでしょう。ああ、私と同じ質量を宿すボタンよ、お前をどうして捨てられようか。
と、そのような読み解きをしました。この詩に出てくる波打ち際とは、この世とあの世の境目をあらわしているように感じます。そして、落ちていたボタンを自身と重ね合わせているのではないでしょうか。広大な砂浜に取り残された孤独そのものを中也さんはポケットに入れたのです。
拙い記事でしたが、最後まで読んでくれてありがとうございました。月夜の浜辺は、冬の長門峡と同じ響きを持っています。心を込めて朗読しました。よければきいてください。それでは又。
それを
なぜだかそれを
それを
どうしてそれが、