想望手記

近代詩の朗読と詩の解説。中原中也さん等。

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冬の長門峡 - 中原中也|詩の解説

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 中原中也さんの詩、"冬の長門峡"を朗読しました。中也さんの長男が結核で亡くなられた後しばらくして、中也さんは『文也の一生』を綴り、それと同じ筆で、この冬の長門峡を書かれています。

 

 一見して、部屋から映る自然の美しさを描いているようですが、中也さんの心中には耐え難い悲しみがありました。亡き文也さんを思い出しながら、一人でお酒を酌み、静寂の建物の中で夕暮れを迎えているのです。

 川の流れをぼんやりと眺めながら、人間の魂もきっとこのようであるのではないかと問うのです。天竺の先まで流れ流れて行くことは、あの夕陽が沈んでいくような理であると感じたのでしょう。

 

 私はいつの日か、長門峡に行ったことがあります。いえ、行ったことがあるといっても、道の駅に寄っただけで峡谷には辿り着いていないのです。今年は色々な所へ行ってみようと考えていたのですが、なかなか時間が取れずに今日に至ります。行きたい場所は星の数程あるのです。

 最後まで読んでくれてありがとうございました。心を込めて朗読しました。良ければきいてください。それでは又。

 

ふゆ長門峡ちょうもんきょう

 

長門峡ちょうもんきょうに、みずながれてありにけり。

さむさむなりき。

 

われは料亭りょうていにありぬ。

さけみてありぬ。

 

われのほかべつに、

きゃくとてもなかりけり。

 

みずは、あたかたましいあるもののごとく、

ながながれてありにけり。

 

やがても密柑みかんごと夕陽ゆうひ

欄干らんかんにこぼれたり。

 

あゝ! ――そのやうなときもありき、

さむさむい なりき。

 

りしうたより

 

 2023年11月、追記。山口県の長門峡に行ってきました。入り口で中也さんの詩碑を見つけた時は飛び上がりました。なんだか嬉しかったのです。

 ひんやりとしたこの渓谷を中也さんも歩いたのかなと思うと、とても感慨深いものがありました。道中で食べた鮎の塩焼き定食でほっぺが落ちました。また行きます。