中原中也さんの詩、"冬の長門峡"を朗読しました。中也さんの長男が結核で亡くなられた後しばらくして、中也さんは『文也の一生』を綴り、それと同じ筆で、この冬の長門峡を書かれています。
一見して、部屋から映る自然の美しさを描いているようですが、中也さんの心中には耐え難い悲しみがありました。亡き文也さんを思い出しながら、一人でお酒を酌み、静寂の建物の中で夕暮れを迎えているのです。
川の流れをぼんやりと眺めながら、人間の魂もきっとこのようであるのではないかと問うのです。天竺の先まで流れ流れて行くことは、あの夕陽が沈んでいくような理であると感じたのでしょう。
私はいつの日か、長門峡に行ったことがあります。いえ、行ったことがあるといっても、道の駅に寄っただけで峡谷には辿り着いていないのです。今年は色々な所へ行ってみようと考えていたのですが、なかなか時間が取れずに今日に至ります。行きたい場所は星の数程あるのです。
最後まで読んでくれてありがとうございました。心を込めて朗読しました。良ければきいてください。それでは又。
われは
われのほか
やがても
あゝ! ――そのやうな
2023年11月、追記。山口県の長門峡に行ってきました。入り口で中也さんの詩碑を見つけた時は飛び上がりました。なんだか嬉しかったのです。
ひんやりとしたこの渓谷を中也さんも歩いたのかなと思うと、とても感慨深いものがありました。道中で食べた鮎の塩焼き定食でほっぺが落ちました。また行きます。