想望手記

統合失調症と共に日々を生きていくブログです。中原中也さん他、近代詩の朗読も配信しています。

想望手記

永遠に咲く彼岸花

 あの日「偶然ですね」と言った私の横に座って、「いいえ、運命です」と囁いた君の無垢なる笑顔は、花火を見る為に用意していた私の視線を独り占めにしました。真っ赤な浴衣を纏った君はとても少女には見えませんでした。高嶺に咲くマリアとでもいいましょうか。心の底まで見透かされるような黒い瞳に、触れると崩れてしまいそうな儚げな美しさ。この世界の音という一切が消滅して、雑踏に君と私しか存在しないような錯覚に罪悪すら感じました。私はその瞬間から君以外のことを考えられなくなったのです。

 それからというもの君は、いつも私の想像とは違う言葉を授けてくれました。惨めにうずくまっていた私に体温を与えてくれました。君はいつも私のことだけを考えて暮らしているようでした。私は少し戸惑いながらもそれが嬉しくて誰かに愛されるということを理解していきました。しかしその幸せはいつしか私の心を焼き焦がす業火となったのです。

 私は君の一点の濁りもない愛が次第に恐ろしくなりました。それを狂気というのは少し不適切かもしれませんが、君は私が少しでも目を離したり何か考え事していると必ず心が不安定になりました。そうして私を傷つけることもありましたし、自身を痛ましく傷つける場合もありました。その時の君の瞳は何処か正常ではない様子でした。

 そのような君が結婚という言葉を口に出した時は正直どうして良いのかわかりませんでした。たとえ君と家族になったとしても、世間という監視者は決して私達を許したりはしないのです。一番安全な場所から私と君の未来を切り刻み、それは何の前触れもなくあたかも正しいことのように満場一致で執行されるのですから。

 私は考えました。そしてどちらも破滅であるならば、私は君を両親や学校のもとへ帰すのが良いという結論を出したのです。君がよく話していた二人は永遠に結ばれるという物語はこの日終りを迎えたのです。私は社会という正義に処刑されて、もう二度と君と会うことはないと思っていました。そのことを説明すると君はとても悲しい顔をしましたね。

 純白な君の想いを踏みにじった真夏の夜。間もなくして部屋の壁に真っ赤な彼岸花が咲きました。君の生温かい感触が頬や腕に伝わり、開けっ放しの窓からは満天の星が映り込んでいました。私はあの夜の出来事を君の吐息のひとつまで鮮明に思い出すことができます。君が何故あのようなことをしたのか、その夜はわかりませんでしたが、私はようやく君を理解することが出来たのです。

 君はきっと私を壊したかったのですね。私の凝り固まった不純物をえぐり出し、泥沼を這いずりながら全ての倫理を嘔吐する姿が見たかったのです。そうして最後に残された真理のはらわたを私の口から掻き出してみたかったのです。

 たとえそれが君の望む言葉でなかったとしても、そうすることで君はただ一心に私を愛したのです。私はあの神々しい君の姿を片時も失ったことはありません。君は恐らく全てをわかっていたのです。壊れてしまった私が二度と元の世界に戻れないことも君は知っていたのです。だから君は私が信じれなかった悠久を健気に体現してみせたのですね。

 私は君の思惑通りに君だけを想い続けています。タトゥーのように刻み込まれた君の存在に感謝しています。日陰で震えていた私を愛してくれてありがとう。傷だらけだった私に微笑みかけてくれてありがとう。そして、先生と呼ばないでいてくれてありがとう。君は本当にこれで良かったのですか。私と過ごしたたった一度きりの夏は幸せでしたか。私はとても後悔しています。どうしてあの時、君を手首を掴んで銀河鉄道の駅を目指さなかったのだろうかと後悔しているのです。

 君が咲かせてくれたこの彼岸花は、どれだけ季節が変わっても枯れることはないでしょう。たとえ死という現実が二人を切り裂いても、純然たる魂を有する私達にはその意味をなさないのです。永遠を授けてくれた君と同じように私も永遠の物語を信じます。そしてもう二度と君を愛することに臆病にならないでしょう。

 部屋の壁にもう一輪、重なるように彼岸花が咲いたのは星の降る夏の終わりのことでした。