小学校の頃の帰り道、私はよく怒られていました。禁止されていた寄り道や、買い食いをして見つかることが多くありました。田舎町故か、地域の目というのが厳しくて、その地域の大人全体で、子供たちを育てていくといった方針だったようです。
学校で先生に怒られて、帰り道に大人に怒られて、家に帰ってから家族に怒られる。そのような怒涛の日々の中、私には特別大嫌いなおじさんがいました。
そのおじさんは、誰に対しても「おはよう」とか、「おかえり」とか、別け隔てなく同じように接していて、私は緊張しながらも、ぼそぼそっと挨拶を返していたのですが、その挨拶の声が小さいとか、元気がないという理由で、通る度にいつも私だけが注意を受けていました。
当時は、それがどうにも理不尽に思えて、とても気に入らなくて、ある日いらいらが頂点に達した私は、学校が休みの日におじさんの家の前に行き、学校で流行っていた爆竹に火をつけて、誰もいない庭に放り込んだのです。
すると、おじさんが光の速さで庭に飛び出してきて、私はすぐに捕らえられて、げんこつの刑に処されました。そして、そのまま祖父のもとへと連れて行かれて、祖父にもげんこつをされたのです。私は泣きながら、ごめんなさいをしました。
その休み明けでした。そもそも挨拶ごときでぐちぐち言うのが悪い、大人なんてみんな大嫌いだと、そのようなことを考えながら下校していると、「おかえり」と、休みの日に何にもなかったかのように、おじさんはいつもの笑顔で手を振っていました。私はなんだか恥ずかしような、申し訳ないような、とにかく気まずくて、帽子を深く被り直して、ぼそぼそと挨拶をしながら通り抜けようとしました。
その時、帽子を深く被っていた為か、いつもはあまり視界に入ることのない、庭に咲く色とりどりの花と、その奥に立派な野菜が実っているのが見えました。おじさんが一人で暮らしているのを知っていたので、この花や野菜は、おじさんが育てたのだとすぐに気づきました。そして、祖母が前に私に言っていたことをふと思い出したのです。
花を植えるのも、野菜を育てるのも、心が綺麗じゃなきゃ立派なものにはならないから、ばあちゃんは正直に生きてるんだよ(このような内容でしたが、もっともっと長話でした)と。それを思い出した私は、おじさんが特別嫌いから、別に嫌いじゃないけどに変化しました。それからの登下校は、私なりの精一杯の声で、挨拶をするようになりました。私なりのでしたが……。
最後まで読んでくれてありがとうございました。そのおじさんの家はもうありません。私が空白の時を過ごしている間に、亡くなられたみたいです。駐車場となった庭の隅に、力強く野草が生えていたのを覚えています。笑顔で手を振ってくれたおじさんが大好きです。それでは又。