想望手記

小学5年生で統合失調症を発症しました。このブログでは症状や体験談に加えて、精神障害者の生活をリアルタイムに発信しています。記事の内容が誰かの役にたってくれたら嬉しいです。

想望手記

ズレていることの悲しさ

 自分が不利になるのは構わないのです。しかし、誰かのそういう場面を目撃してしまうと、私はひどく苦しくなってしまいます。なので、極力そういったことに遭遇をしないように、最新の注意を払っているのですが、偶然の前には為す術がないのでした。

 

 チームワークが必要とされるスポーツ等を観戦している時も同じで、あのハラハラとした気持ちには未だに慣れません。例えば野球中継であれば、投手にはホームランを打たれてほしくないし、打者には三振やデッドボールになってほしくないし、野手には一切エラーしてほしくないし、ああもうしんどい見たくない、ドキュメンタリー番組ポチっとなってしまいます。

 誰かの不利や不結果を自分に起こったことのように感じて、自分のこともまた同じように感じて、私はつくづく、集団行動やチームプレイに不向きであると感じています。なので、一人で読書をしていたり、静かに音楽を聴いていたり、こうして文章を書いているのが何より好きなのです。

 

 前によく流れていた、ニュース番組にしてもそうでした。被害者の無念や絶望、憎悪、憤怒、恐怖、殺意等、それらが濁流となって流れ込んでくるようでありました。生きづらい生きづらい生きづらくて嫌だと思いながら、私は結局、どうして良いのかわからずに今日も眠るのでしょう。この珈琲を飲み終わったら、寝る準備を済ませて、布団に倒れていつものように朝が来て、その繰り返しを何処かで断たないといけないのでしょうか。今はじっくりと考えてみます。

 

 最後まで読んでくれてありがとうございました。先日、スマホをトイレに落としてしまった人が泣き叫んでいる動画を再生してしまいました。人前で大声を出したり、地団駄を踏んで暴れるのは、とても良くないと思いましたが、その動画を見て笑っている人達と、動画を撮っていた人の気持ちは、この先もきっと理解できないと思いました。それでも、私はこのズレを寂しいとは感じません。ただ、悲しくは思います。それでは又。