想望手記

小学5年生で統合失調症を発症しました。このブログでは症状や体験談に加えて、精神障害者の生活をリアルタイムに発信しています。記事の内容が誰かの役にたってくれたら嬉しいです。

想望手記

障害者のコミュニティスペース

 自らの命を断とうと思ったことはありますか? 少し前に、そのような質問をされたことがあります。質問者は私と同じ精神障害者の方で、とあるチャットコミュニティ内での会話でした。

 思い返してみると、私はこれまで、自分の体を傷つけたことがありませんでした。傷つけようと考えたこともなかったのです。なので私は、「いいえ、ありません」とお答えしたのですが、そこから二人の会話は、段々とすれ違っていきました。

 

 じゃあ、軽度なんですね。と言われた私は、度合いはわからないが一応通院していますと伝えました。すると、多くを質問されました。

 

  •  具体的な症状は?
  •  通院はいつから?
  •  薬の量は?
  •  障害者手帳を所持してる?
  •  等級は?
  •  社会生活は送れてる?

 

 私はそれらの質問に、特に何も考えずに答えていました。すると、同じ精神障害二級なのに、自分の方が明らかに苦しんでいる、という内容の話をし始めたので、そういうものなのかな、と思いながら聞いていました。

 そして、「私は、自分が生きたいから自傷するんだよね」と、手首が傷つけられた赤みがかった写真を貼られた時に、私は思い切って質問してみました。

 生きたいと想う気持ちと、自分の体を傷つける行為は、矛盾しているように感じますが、それは一体どういうことなのでしょうか、と。

 すると、手首を切る行為がやめられないし、刃を入れたり、血を見ると気分が落ち着くのだと言っていました。リストカットを無理やり辞めさせられると死にたくなるし、実際にオーバードーズ(薬の大量摂取)をして、病院に運ばれたこともあったとも言うのです。そして、「そちらは気楽でいいよね」と付け加えられた時に、障害者のコミュニティスペースとは一体、何なのだろうと考え込んでしまったのでした。

 

 障害者が集まってコミュニティグループを形成し、集まった障害者同士で自分の症状を悲観し合い、診断書の有無や障害等級、薬の量、通院年数で格付けをし、声の大きな者が声の小さい者を支配するこのスペースが、精神障害者の為に存在しているとは思えなかったのです。

 

 こういう症状があります。私も同じ症状があります。と互いに寄り添いながら、共感したり、手を伸ばし合ったりして、仲良く生きていけば良いのにと思うのは、私のエゴなのでしょうか。それに、心や体の傷は障害者だけではなく、健常者にもあるのものです。この世界を生きていれば、誰にだって、苦しみや悲しみは存在しているのです。

 特に健常者の方は、それを隠しながら生きていたり、傷なんてないような振る舞いをするのでわかりにくいのですが、障害者が受ける痛みと、同じ痛みを感じることもあるでしょう。だから、自分だけが傷跡を持つのではないし、自分の傷の方が深いなんて比べるものではありません。

 

 それと、障害者の書き方について、障がい者だの、障碍者だの、言い争っている保護者も見かけましたが、はっきり言ってどうでも良いです。当事者として、どのように書いてもらっても結構ですが、「害はいけないよね」なんてもの目にすると、ひどく嫌悪します。障害の害というのは、害悪とか、危害、有害という意味ではなく、何かの障害と戦う者たちを指しているのだと、私はそう思って生きているからです。

 本当にどうでも良いことばかりで、唾の一つでも吐いてみたくなるのですが、私がそれをしないのは、私なりに障害と向き合えるようになったからかもしれません。私はこれからも、私なりの言葉で伝えていきたい想いです。

 

 最後まで読んでくれてありがとうございました。少し愚痴っぽくなりましたが、障害者一人ひとりの考えを知ることや、障害者自身の発信が必要だという思いに変わりはありません。ただそれは、障害者同士で度合いを比べるものではなく、自分の体験として誰かに残しておけば良いのだと思っています。そして、自分が歩いた道であったのなら、震える誰かの手をそっと握ってあげれば良いのです。それも支援の在り方です。

 そういえば、芥川賞を受賞された作家さんが訴えていましたが、読書バリアフリー法を私も応援しています。このブログでも、出来る限り支援していけるように頑張りたいです。

 出版業界の皆様に向けて、「私に怒りを孕ませてくれて、どうもありがとう」、とおっしゃっていた市川沙央いちかわさおさんが、滑稽という言葉を呑み込んで、呑気と書き直していたあの作品が大好きです。貴女ならきっと、愛の作家になれると信じています。私は障害者としてではなく、障害者の貴女としてでもなく、貴女の文学を賛美します。それでは又。