想望手記

統合失調症と共に日々を生きていくブログです。中原中也さん他、近代詩の朗読も配信しています。

想望手記

競争の逃亡者

 私は椅子取りゲームが嫌いでした。楽しい音楽が急に止んで皆で一斉に足りない椅子を取り合うあのゲームのことです。椅子に座れた人と椅子に座れなかった人の構図に、子供ながら得体の知れない気味悪さを感じていました。皆と同じようにぐるぐると歩いた後に一番最初に座れないととても安心するのです。

 私は遠足のお弁当が嫌いでした。手作りの豪華なお弁当の人もいれば当日にコンビニで買ったであろう菓子パンの人もいます。同じ学校のイベントなのに家庭環境で異なる食事に疑問を抱いていました。しかし300円までと決められていたお菓子の時間は好きでした。誰も悲しい顔をせずに楽しくお菓子が食べられたからです。

 

 けれど運動会等で手を繋いでゴールをしたり、皆が同じ空間で同じ教育を受けるのはおかしいと考えています。私は平等を求めていたわけではなく、力の強い者、声の大きい者、頭の良い者だけが優位に立ち続けるという競争世界に耐えられなかっただけでした。それはもう惨めったらしく逃げ出してしまうくらいには苦手でした。

 故に長年、私は自分のことを愚者だと思っていました。吠えることすら出来ない負け犬だと思っていました。そして私はいつも世間を恐れていました。いつもいつも誰かしらの犠牲になってきました。社会に出てもそれは変わることはなく、笑ってさえいればことは簡単に済みますし、私が何も言わなければことが済むのです。可哀想な人が可哀想にならないように可哀想な人になることが一番良いとして生きたのです。

 

 そのように過ごしていると、私はいつしか孤独で暖をとるようになりました。休日は一人で読書をして、大自然の中を歩き、裸電球の部屋に帰って珈琲をいれる。君は寂しくはないのかと問われれば、これで良いのですと笑って答えますし、君は寂しいやつだと言われれば、それで良いのだとはっきりと言えるのです。心の通じる人は少数で良く、視座の高さだけ合えば良いのです。

 そういった同じ魂を持つ者同士が巡り合い、共に助け合って生きる世界を私は望んでいます。私はこの先も一切の競争を拒絶します。時代に流されることなく同じ色彩で迎えてくれる純喫茶のような、そのようなゆっくりとした活動をこれからも続けていきたいです。最後まで読んでくれてありがとうございました。一節でも共感していただけたら嬉しいです。それではまた。