想望手記

小学5年生で統合失調症を発症しました。このブログでは症状や体験談に加えて、精神障害者の生活をリアルタイムに発信しています。記事の内容が誰かの役にたってくれたら嬉しいです。

想望手記

変わらない買い物

 私のお気に入りの商店街には、多くのお店が連なっています。豆腐屋さん、八百屋さん、雑貨屋さん、洋服屋さん、電気屋さん、それはもう選り取り見取りなのですが、どのお店も営業していないので、シャッターに書かれている文字や、古びた看板でしか確認出来ません。私いつも、この通りが栄えていた頃を想像しながら、閑古鳥の鳴く商店街を抜けて買い物に行くのです。

 

 私は小さい頃から古いものが好きでした。祖父の書斎にあったゼンマイ式の壁時計が特別に大好きで、そういったものに触れていると、私はひどく安心しました。それは多分、変わらないからだと思うのです。古いというのは謂わば、時代の流れについていけずに一度は終りを迎えたものです。それらはこの先も変わることなく、私の想いを裏切ったりはしないでしょう。しかし、簡単にアップデートが出来たり、時代のニーズに合わせられるものであれば、私は途端に警戒してしまい、臆病になってしまうのです。私が古きを愛しているのは、そういう理由だと思っています。

 

 そうして、商店街から15分程歩くと、大型スーパーと大型家電店、ファミリーレストランにドラッグストア、ファーストフード店が所狭しと寄り添っていて、その区域だけで、住民の生活が成り立ってしまう場所に辿り着くのです。そこは商店街とは対照的で、いつ行っても活気に満ちていました。人口がそれほど多くない田舎町なのに、行き交う人々の足音でいっぱいなのです。

 大型スーパーで買い物を済ませた私は、お気に入りの商店街を通って帰路につきました。閑散としたシャッターの広がりに、ところどころ夕陽が差し込んで綺麗です。ここに住んでいる人達も、あの便利な場所で買い物をするのでしょうか。そして、私と同じように、静かな商店街を眺めながら、安らかな気持ちになるのでしょうか。この景色が変わらないままでいてくれるなら、私も変わることなく、一途に想い続けるでしょう。

 

 最後まで読んでくれてありがとうございました。そうは言いましても、栄えていた頃の商店街に、返り咲いてほしいとも思っているのです。その未知なる活気の中で、私はこれでもかってくらい買い物をしてみたいです。でも、あのシャッターはきっと昇らないし、商店街がなくなったりもしないのです。それでは又。