私の家には、ガスコンロというものがありません。いえ、決して電気式というわけではなく、引っ越してきた当初は、当たり前にガスコンロを取り付けていたのですが、現在は取り外して、押入れの奥深くに眠っている状態なのです。
このことは、生活する上で一見不便に思われますが、私はこうすることで、日々の暮らしがぐっと楽になったのです。
ガスコンロを取り付けていた時は、外出中にいつも不安がつきまとっていました。ガスの元栓は閉めただろうか、もしガスが漏れていたらどうしよう等と、一度気になり始めるともういけませんでした。私はその不確かを片時も休まずに考えてしまい、すぐにでも家の扉を開けて、確認したいという衝動に駆られるのでした。実際に家に帰ったことも何度もありました。私のこういった不安は恐らく、母親がガスコンロで起こした事故に起因します。
母は私と同じ、統合失調症を患っており、等級は私より一つ上の精神障害一級になります。父は私が小さい頃に居なくなっていて、私は母を含めて祖父と祖母の三人に育てられました。そして、私が小学生の頃、ガスコンロ近くに置いてある牛乳(確か牛乳だったと記憶しています)が燃え上がるという事故が起こりました。
祖母が火をかけたまま鍋を放置していた時に、母が冷蔵庫から牛乳を出して、火のついているコンロの横に置き忘れて、それを学校から帰ってきた私が、火がついてる状態で発見して、パニックになるという事件がありました。その高く上がった炎は、居間にいた祖父によって消し止められて事なきを得たのですが、ガスコンロはいつかこの家を焼いてしまう悪魔だと、その時に確信したのでした。
それから私は大人になり、そういった過去の衝撃は、心の奥底に眠っていたようでした。しかし、今の家に引っ越してきて、ガスコンロで火を使った自炊をするようになってから、唐突にあの時の記憶が書き出されたのです。それからというもの、寝室に行った後でも、何度も台所へ確認に戻ったり、外出時はそわそわして、ガスの安全ばかりを考えていました。私はそんな自分が嫌になったのです。だからなくしてしまったのでした。
いざコンロを取り外してみると、心がすぅーっと軽くなりました。ガスの元栓は閉まったまま、誰も触る人がいないので、外出時でも、閉め忘れを心配することはないのです。自炊という程のものでもありませんが、今は全て、電子レンジで事足りるので、生活にも困らないのです。そうして私は、安息の日々を手に入れたのです。
大変生きづらいと感じていますし、世の中は決してフェアではないけれど、私は自分だけが傷ついているとは思いません。健常者も、障害者も、皆、過ぎ去っていく日々の中で、何らかしら苦悩しています。そういった人々が、少しでも楽になるように、陽だまりのような温かい未来を今日も望んでいます。最後まで読んでくれてありがとうございました。それでは又。