病院の待合室に座っていると、誰であってもフルネームで呼ばれます。それは至極当然のことなのですが、私にとってはそれが嫌で嫌で仕方がありませんでした。いえ、待合室に一人ぼっちで居る時に、名前を呼ばれるのは構わないのです。しかし、大勢が待っている中で呼ばれると、周りにいる人は、訝しげに私を見るのです(呼んだ本人も不思議そうに見ていることがあります)。その奇異な視線の数々に、私は何度体験しても慣れないのでした。ですから極力、名前を呼ばれるような場所には行きたくないと思っています。
どうして、このようなことになるのかと推測すると、私の名前は謂わば、戦国武将のような古風で男らしい名前です。とてもお堅い名前なのに、当の私は髪が長くて、胸が出ていて、ユニセックスな服装をしています。それ故に、人々は私の名前と容姿の違和感を感じて、あのような視線を向けるのではないかと思っているのです。患者を名前で呼ぶのではなく、名字だけとか、番号札かアラームにすれば、この苦痛は止む気がしますが、しかし、それはひどく少数派の意見だと理解しているので、そのようなことは諦めています。
加えて、病院や役所といった場所では、性別を記入するものが多いです。私は自分の性別がよくわからない状態にありますので、男性という選択に◯をつける度に、自分の中の大切な何かが、指の隙間からこぼれ落ちていくような気持ちになります。かといって、私は男性と女性の中間というわけではなく、そもそも性別自体がわからないのです。いくら考えても、あの日(小学生)からずっと迷子になっているのでした。
Xジェンダーの当事者として、何か配慮を求めるのであれば、私はただ、静かに暮らしたいだけでした。好奇の目に晒されるのは、出来れば避けたいのです。故に、デモに参加して権利を主張したり、専門医に診察してもらったり、LGBTQ+の集まりに参加したり等、そのような大勢の目に触れることを一切望んでいないのでした。
私と同じように性別で困っている方の為に、自分も立ち上がって多数で活動しようとは思わないのです。納得のいく内容であれば署名とか、記事を書くことなら出来ると思いますが、あまりよく知らない人の前で自分の性別のことを話したくないし、そもそも緊張して、何かに参加しても立っているのがやっとでしょうし、私は、取るに足らない日々を送りたいだけなのです。
自分さえ良ければそれでいいのかと思われるでしょうが、国や地域で決められたルールや社会規範を順守して、私は生きています。戸籍には男性と記載されているので、その通りに生活が出来ています。当然、銭湯や温泉とか、公共のものは利用できないし、トイレの利用等、不満がないといえば大嘘になるけど、それはもう良いのでしょう。
私がこういう体や心で生まれたのも、何か特別な意味があると思っています。どうして皆と同じように生まれてこなかったのかと、絶望した日もありましたが、最近はこの体を私の一部として受け入れられるようになりました。私はこの社会に生きながらも、自分というものを消して過ごしたいのかもしれません。それでも、正解だらけのこの世界で、どのような名前であっても、どのような容姿であっても、全ての人が何も気にしない時代が来ることを願ってやみません。そして、自分に正直に生きる人を応援しています。
最後まで読んでくれてありがとうございました。ちなみにブラはスポブラしか持っていません。上がスポブラで、下がトランクスだったり、ショーパンだったりします。しまむらが最強です。それでは又。