ブログを始めて一年が経ちました。それとユーチューブを始めてもうすぐ一年になります。たまにはこのブログに書き殴ってみようと思います。いつもはそれなりに文章の構成を考えたりもするのですが、今日はそうしないつもりなので読み難い箇所が多々あるとは思います。どうかご容赦くださいませ。
最近は床に溶けていくような日々が続いています。私の頭が壊れてしまったのか、心が破れてしまったのか、そのどちらでもあるのかはわからないけれど、何をしても出力が低く反動も鈍いこの状態はあろうことか定期的にやってくるのです。それはどれだけ拒絶しても間違いなく私のもとへやってくるのでした。そしてこのことが私の診断されている統合失調症の症状であるのかもわからないのです。
精神科医は多くを喋りません。診察はいつも二分程度で終わります。その二分間で話す内容は「よく眠れていますか」「何か変わったことはないですか」といつも代わり映えのしないものでありました。そこで何かを伝えたとしても「そうですか、じゃお薬を出しておきますね」といつも同じ言葉が返ってくるので、私はその内に何も言わなくなりました。そうすると先生は笑顔で私に接してくれるのです。
最初の頃は幻覚や幻聴、不安、焦燥、恐怖といった出来事を訴えていましたが、それらを先生に伝えるといつも一瞬だけ不思議な表情をされました。私はその顔に見覚えがありました。それはこれまで生きてきて精神疾患のことを誰かに話さないといけない時、又は障害者手帳を提示しなければならない時、そういった瞬間に人様は決まって同じ顔をしていました。
それは何か人ではないものを見ているようでありました。何故か哀れんでいるようでもありました。よくわからない静かな怒りを向けられたこともありました。私はその鋭利な刃物を避ける術を知りませんでした。いくら調べてもわからないし誰も教えてくれませんでした。
傷跡から滴るやりきれなさを眺めながら、これが生きていくことなのだと信じることにしているのです。仮に相手に何かを言ったとして、例えば「どうしてそのような表情をされるのですか」と言ったとしても、世界は何一つ変わることなく時間を刻み続けるでしょう。それがわかっているから私はこの世界で生きていけるのです。
小学五年生の秋までは学校も部活も休まずに行きました。勉強だっていっぱい頑張って先生に褒められたこともありました。丁稚だったけど人の道を外れたことはしていませんし、家のお手伝いだってたくさんしたのに、私は精神障害二級という通告を受けて通院を余儀なくされています。近く薬局で受け取る多くの薬を飲まないと私は家の扉を開けることすらためらう生活をしています。故に烏滸がましくも「どうして……」と誰でもない人様に問いかけたくもなるのでした。
何故こうなったのか考えれば考える程にわからなくなります。わからないことで溢れている世界を生きていると、自分の姿を写真で見ているような気分になりました。主観ではなく客観的に繰り広げられる日々を観ているのは私自身であり、それを私が否定すればする程に世間から遠ざかることも理解しているつもりです。それなのにこうして公にブログで書きなぐっているのは、空谷の叫び声のようなものかもしれません。私は此処に居ますと主張しているのかもしれません。
最後まで読んでくれてありがとうございました。まとまりがない文章で申し訳ありませんでした。自分でも何を書きたかったのかこの記事を書き終えた今でもはっきりとしていません。とにかく私は今何をしても良くない状態にあります。こういう時は読書や散歩をしながらゆるりと過ごしてみようと思います。また青くて透き通った空が見れるようにあがいてみます。ここまで読んでくれた貴方に笑顔と幸運を。それでは又。