想望手記

統合失調症と共に日々を生きていくブログです。中原中也さん他、近代詩の朗読も配信しています。

想望手記

ひまわりの花言葉

 片思いをしている時と、食堂でホルモン定食を待っている時の気分はとてもよく似ています。片思いが両思いに変わればどこか不安になるように、大好きな料理が眼の前に差し出されてしまうと何とも言えない寂しさを感じてしまうのです。それは世界の終わりを嫌だと思うあまりに、全ての始まりを憂鬱に置き換えてしまう悲しい性分でありました。

 

 誰かと一緒に歩くことは私にとっては一大事でした。それが誰であっても私は置物のように固まって貴方を不愉快にさせました。いくら貴方と歩きたくても私は一人で歩く方が似合っていたのです。私は必死で透明になって醜悪な姿を隠したかったのです。貴方は私の存在に気づかず、何も思うことはなくただ当たり前に毎日を歩いていく。私は貴方の姿を見れるだけで嬉しかった。それが私の幸せの在り方でした。

 

 私はそういった日陰に生きる臆病な人間でありましたから、結局は何一つこの手で掴むことはできませんでした。大人になっていざ受け止めようとしても、それらは不思議と水のように溢れ落ちていくし、差し伸べられた温かそうな手を握るのはどうも気が滅入ります。いつも無数にある言葉の裏を探り、皆と同じ顔の作り方を覚えて真っ白な台本を読んでいました。そのような醜い私はもう居なくなったのです。居ないと思うのです。だって私は今さら空に向かって歩いているのです。

 誰かが笑えば私も笑顔になって、誰かが怒れば私は頬を膨らませて、何気ない日常を歩んでいると思うのです。誰かに声をかけるのはとても勇気が要るし、もしかしたらナイフで切りつけられるかもしれない。それでも良いから私も日向ぼっこがしたいのだとそんなことを考えながら歩いているとひまわりの花が咲いているのに気づきました。

 ひまわりの花言葉は憧れとか、貴方だけを見つめる等と言いますが、私は少し違う気がしているのです。何故ならひまわりの花はどのようなお日様の光であっても無条件に真っ直ぐに浴びているからです。そうしていつも笑ってただそこに咲いています。故にひまわりの花言葉は"貴方の全てを受け止める"と、私はそのように思い続けているのです。

 

 最後まで読んでくれてありがとうございました。暑い日が続きますがどうかご自愛ください。それでは又。