楽しい時間を過ごしていると、突然恐ろしくなる瞬間があります。そういう時は雷にでも打たれたように一切の思考が停止してしまいます。そうして動けなくなった私のもとへ、先程と何ら変わらない喜びがおし寄せてくるのでした。
私が子供の頃、とある歌詞で"時には暗い人生もトンネル抜ければ夏の海"とありました。その歌を覚えて祖父の部屋で口ずさんでいたら、椅子に座っていた祖父が歌詞の意味をわかりやすく教えてくれました。概ね理解した私は「じゃあ、夏の海の後はまた暗いトンネルが来るの?」と質問しました。祖父は少し考えた後「さぁね」と言ったままそれ以上口を開くことはありませんでした。
それからしばらくして、通っていた学校で"人生は山あり谷あり"という言葉を習いました。それはあの時祖父に質問をした答えであるように感じました。私は先生のお話に納得してしまいました。それからというもの嬉しいことがあってもそれと同時に悲しみを宿すようになりました。
では悲しいことがあると嬉しいと感じるのかと問われれば、それはまた違うようでありました。悲しい時には悲しいのです。喜びなんてこれっぽっちもありません。そのように私の心は形成されていきました。それを誰かに説明しても人様はあれこれと言った後に決まって寂しそうな目するのです。思い返すと私はその視線を幾度も感じたことがあります。
広場で同級生と遊ぶ日は、その輪の中から一番最初に帰るのが怖くて仕方がありませんでした。何故なら私がこの場からいなくなった瞬間に私の悪口が飛び交うかもしれない、そう考えると私は恐ろしくなって帰ると言えないのでありました。しかし夕方遅くに帰ってくる私に対して家族は良く思っていなかったようなので、私はその経緯と心持ちをきちんと家族に説明したのです。
すると「気にし過ぎだし貴方の友達なのでしょう」と、そのように言われると急に友達というものがわからなくなりました。わからないことが気味悪く感じました。海水でべとべとした身体をいつまでも洗えないような気持ち悪さです。
友達という関係であれば悪口を言わないものでしょうか。いいえ、彼等は言うのです。その場にいない同級生の悪口をたしかにきいているのです。私は輪の中でそれを聴きながら友達に対して怯えていたのです。けれどこの輪の中にいる限り、私は悪口を言われることはないだろうと愚かにもそう信じていたのでした。
私はいつしか口を固く閉ざすようになりました。私は恐らく皆と同じではないと気づいたのです。皆が見えるものや感じるものがわからないのです。それはとても悲しい事実でした。受け入れ難い現実でした。なんとかして皆と同じように過ごしたいと模索しても、それはお洋服を着せ変える程度のことで結局は私の中身までは変えてくれないのです。それでも生きていかねばなりませんでした。たとえ報われなくても、努力が無駄になったとしても、さらなる努力を重ねる他はないのです。
最後まで読んでくれてありがとうございました。この文章を読んで共感していただける貴方はきっと、雲ひとつない青空を見上げて満天の星々が綺麗だと感じられる人なのでしょうか。私はこうして綴りながら生きた証を残しています。それを知ってくれてありがとう。それでは又。