こうして窓から外の景色を眺めていると、都会の喧騒の中で過ごしていた頃を思い出します。あの頃の私といえば家から出ることを恐れ、人もまばらの深夜にならないと食料品店にすら行けなかったのですから、それはもうある種の引きこもりでありました。私はそのお店で何日か分の食料を買って帰り、それが無くなるとまた次の深夜を待つだけ日々を送っていたのです。
今の自分はあの頃の私とは違うものであるとは不思議と思いません。私は今でも人目に触れるのが億劫でありますし、出来ることなら多くの時間を部屋の中で過ごせたらいいと願っているからです。そして世間がそれを聞いて眉をしかめるのを理不尽に思っています。こうして大好きな音楽を聴きながら詩集を開いたり、素敵な物語の中で過ごす時間を私は愛しているのです。
都会の窓はあれだけ多くの人が
その部屋の中で羽音の大きい蚊が私の周りを飛んでいたことありました。何と
蚊はしばらくすると窓の枠に止まりました。私は気配を消して静かに手を振り上げ、その蚊に振り下ろそうとしましたがどうにも出来ませんでした。何故ならその蚊は窓の外をじっと見つめていたのです。いえ、そのように見せられたからです。それは当然ながら私のいつもと重なって映りました。しかしそれがすぐに別のものだと私は気づいたのです。同じ景色を見ていても蚊と私とでは決定的に異なる性質がありました。
私がゆっくりと窓を開けると、その蚊はしばらくも経たない内に外へと飛び去っていきました。やはりそうでありました。私の手は窓を開けることが出来るのに、私の足は窓の外の世界へ踏み出そうとは思わないのでした。何故だか蚊の方が余程立派に感じたのです。私はその日を境に家の中にいる蚊を極力外の世界へ帰すようになりました。
このブログを書いている今は自らの足で何処へでも赴くことができます。誠に遺憾ながら引きこもりではなくなったのです。そうして私はようやくあの時の蚊と対等になれた気分でもありました。それが何だか嬉しくもあり寂しくもあるのです。最後まで読んでくれてありがとうございました。私が今住んでいる家は蚊がほとんど居ないので今年も窓を開けずに済みそうです。それでは又。