想望手記

統合失調症と共に日々を生きていくブログです。中原中也さん他、近代詩の朗読も配信しています。

想望手記

貝殻と竜宮城

 夕暮れの浜辺にて。私がその少年に心を奪われたのは一刻の出来事でした。缶コーヒーを片手にぼんやりと海を眺めていると、何かを拾っては波に向かって投げている少年がいました。最初はそれほど気になりませんでしたが、あまりにも長い間そうしているので声をかけてみようと思い立ったのです。

 

 私はやわらかい砂の上を歩きながら、少年にどのように声をかけようかと考えていましたが、結局は「何を投げているの?」という当たり障りのない言葉で話しかけると、少年は私の顔を一度ちらりと見てから足元に落ちている貝殻を拾いながら言いました。

「海に良いことをしないと、りゅうぐう城に行けないんだよ」

 少年は何処か悲しそうに呟くと、近くにあった貝殻を拾い集めては海に向かって繰り返し投げていました。私はその後ろ姿を見つめていました。竜宮城と貝殻を海に投げることが一体どういう関係であるのかわからなかったので、私も少年と同じように貝殻を拾って海に投げてみました。すると少年は私の姿を見て少し驚いてからくすっと笑ったのでした。

 

 そうしてようやく少年の不可思議な行動を理解することができました。少年は浜辺の貝殻を海の落とし物だと思っていたようです。貝殻を失くした海がきっと困っているだろうから、僕が時々こうして返してあげるんだよと貝殻を投げながらそのように話してくれました。この海は僕しか返す人がいないんだとも言っていました。それは何故か追体験にも似た懐かしさがありました。淋しさや瑞々しさ、私の記憶の片隅にも確かに存在するものに感じたのです。

 水平線に溶けていく夕陽を見つめていると、いつも心がざわざわして大切なものを喪失しているような気持ちになります。「また明日、遊ぼうね」と手を振っていたあの頃は何の根拠もなく何の滞りなく、明日もまた同じように遊べると信じていたのです。想像のつかない遠い未来を薔薇色であると疑わなかったのです。

 しかし私が竜宮城に行くことは叶いませんでした。きっとこの少年もあそこに取り残されているから、夕陽を見てあんなにも寂しそうな表情をしているのでしょう。私は誰も存在しない浜辺に佇んで、赤黒く焼けている空を見上げていました。

 最後まで読んでくれてありがとうございました。それでは又。