想望手記

国立和歩のブログです。中原中也、高村光太郎等、近代詩の朗読も配信しています。

想望手記

一つだけのメニュー

 ついこの間、耳栓を買いました。元々、ヘッドフォンタイプの耳栓(イアーマフ)は持ってたのですが、これよりもっと外からの音を遮断できないかなという理由でした。この耳に押し込むタイプの耳栓をつけてから、ヘッドフォン型の耳栓をあててみるとそれは驚きました。一切は何もないように感じるのです。それはまるで広くて真っ白なキャンパスのようでした。

 私は近くに置いてある本を開いてみました。あぁ、なんという透明感でしょうか。繊細で鮮明化された物語の数々は、その世界をより美しく、多くの色彩をもって私を迎えてくれました。今風に言うとFull HDから8Kに変わったような衝撃でした。読書をする時や書き物をする時は、この耳栓があると便利だと思いました。これは素晴らしいものだと思ったのです。

 小学生の頃、授業中にひそひそ話をする同級生がいました。私はそれがとても苦手でありました。授業をする先生の大きな声と、小声で話す同級生の声が、同じ音量で聞こえてくるからです。かてて加えて、鉛筆で机をこつこつと叩く音、教室の外で体育の授業をしている声など、その全ての音が一定の音量で聞こえていました。

 私の頭の中はいつも散らかっていました。それは片付けようとしても、何一つ変わることありませんでした。どれだけ掃除をしても無駄だとわかった私は、当時はそういうものだとして受け入れたのです。仕方のないものとして諦めたのです。何故なら周りを見ると、他の同級生が困っている様子がなかったからです。私だけが異常なのだと、私は私が怖くなりました。決してこの事実を誰かに知られてはいけない。もし見つかったら何処かに閉じ込められるかもしれない。そのような学校生活でした。

 あの頃、聞こえてきた音の音量が本当に一定だったとは思っていません。私は恐らく気になる部分に周波数を合わせて、わざわざそれらを自ら聴きに行っていたのです。ただただその気になる部分が多くて、私はきっと集中というものを知らなかったのだと、今こうして大人になってからわかるのです。※音量については成長と共に気にならなくなっていきました。

 この度、耳栓によって私が得たものはこの上ないものです。これまでに読んだ物語を全部読み返してみようと思います。それは中華料理屋さんに入店してからメニューを開くと、チャーハンとしか書いていないような、私にとってはそのようなわかりやすい感覚なのでした。最後まで読んでくれてありがとうございました。それでは又。