想望手記

国立和歩のブログです。中原中也、高村光太郎等、近代詩の朗読も配信しています。

想望手記

配られなかった台本

 ひらがなとカタカナを覚えたのは、いつ頃のことだったでしょうか。ヒノキの香りに断片的な陽の光。私はそのセピア色の書斎で、祖父に教えてもらった文字を使い、他愛もない言葉を描いていました。規則的な振り子の足音をききながら、祖父の大きな椅子に座って祖父の真似事をするのが得意でした。

 祖父はよくお手紙を書いていました。それが一体誰宛のものだったのか、誰が祖父にお手紙を送っていたのか、幼い私が知る由もなく、ぼんやりとした記憶の中で、万年筆を滑らせている時の祖父の顔は、とても優しい表情していたのを覚えています。その祖父が他界して三年になります。家も、書斎も、大自然の中へと溶けていき、残ったのはこのような温かな思い出だけなのです。

 私はリアルタイムで交流するのが苦手です。それは対面であったり、通話であったりと、このことばかりは歳を重ねても変わりませんでした。ただ、文字を使った交流は人並みには出来ると思います。だから私は、お手紙や電子メール、チャットが大好きです。※今でいうとLINEもよく利用していますが、LINEは何だかリアルタイムを求められている気がして少し苦手です。

 会話について、誰かのやりとりをきいていると、その人達がお芝居をしているように聞こえていました。加えて私は輪に入れてもらっても、会話についていくことができませんでした。返す言葉を考えていたら、いつの間にか場面が変わっているのです。私もあのように台本さえ持っていれば、一人で過ごすことは少なかったのかもしれないと思っていたのでした。

 私の傍にはいつも孤独が住んでいました。しかしそれは決して無情ではなく、私は一人でいることを自らに選び続けていました。心底それを望んでいたわけではないけれど、一人というのは何をするにもそれなりに楽でありました。誰も傷つけることはなく、誰にも傷つけられることもない。その平和な日々は、誰かと関わる度に私のもとへと帰ってきました。そうして何年も紫外線のあたらない日々を送っていたのでした。

 私は今でも会話が苦手です。それでも人を恐れることはなくなりました。それなりに人の輪の中で過ごせているみたいです。傷つけたら謝ろう。傷つけられたら我慢しよう。それだけで私は人様に近づけたのです。世間一般という仮面の下がどれだけ醜くても、私は私で在り続けたいと思います。それが私の生き様プライドだからです。最後まで読んでくれてありがとうございました。今日はたけのこの煮物を食べました。それでは又。