名前のない夜に月明かりはなく、白熱灯の明かりが部屋の全体を暖色に染めていました。中也さんの詩集を読みながら思うことは、私はこんなにも強く、夭折の天才詩人中原中也に会いたいと願っているのに、私の想いはこの先もずっと届くことはなく、こうして残された血肉をなぞりながら馳せると、そのような夜でありました。
朗読は毎日しています。毎日するようになりました。元々はわたくし、黙読にはひどく自信がありますと、おかしな主張をする明後日人間でありましたが、小さな表現者として学んでいく過程の中で、聴いてくれる人がいるという温もりは何よりの原動力となっていたのです。顔も名前も知らない貴方に向けて、私は朗読家として精一杯、詩人たちの声帯となることが全てに思えました。
心を震わせる素晴らしい詩の数多に、時折、私が朗読しても良いものだろうかと怖気づいたりもするのですが、詩人は恐らく誰一人例外なく、一人でも多くの人に読んでもらいたいと願っている気がするのです。それが特に強く、最も強く詩に表れているのが
今回はそんな中原中也さんの詩を朗読しています。在りし日の歌から「ゆきてかへらぬ ――京都―― 」です。中也さんの情人、長谷川泰子さんが書かれた「中原中也との愛:ゆきてかへらぬ」でも同じ題名が使われていますね。あの頃はニ度と帰っては来ないと題した詩には、名状しがたいすっぴんの中也さんを垣間見た気がします。
この詩を朗読していると、京都での青春の日々を感じ取れるようでした。「僕は此の世の果てにゐた」から始まり「希望は胸に高鳴つてゐた」で終わっています。そして日が西へ傾き、ぽつぽつと星々が輝きを取り戻しましたら、天上界の世界を想像しています。世にも不思議な公園というのはこの世とは違う世界、銀色の蜘蛛の巣とは涙ぐんだ視界に映る夜空と解釈しました。
ご視聴ありがとうございます。朗読を公開してから四ヶ月が経ちました。多くの方に再生していただいて、評価していただいて本当に嬉しいです。私はこんなにも幸せで良いのでしょうかと、神様のご機嫌を伺いながら想いを噛み締めています。これからもゆっくりと活動していきますので、どうぞよろしくお願いします。最後まで読んでくれてありがとうございました。それでは又。