先日、YouTubeラジオの中でお話したゲームの話題について、少しだけ掘り下げて書いてみようと思います。私が初めてテレビゲームに触れたのはファミコンの黎明期、1980年代の頃でした。当時はスーパーマリオブラザーズや、ファイナルファンタジーなどの有名タイトルで盛り上がっていた時代です。
我が国立家では、ゲームは一日に一時間までと決められていたので、ゲームの中の物語はとてもゆっくりと進んでいきました。学校が終わって家に帰り、宿題を済ませてから広場へ遊びに行く、たくさん遊んだら家に帰ってお風呂に入る、家族で食卓を囲んでテレビを見ながら笑う、という毎日のサイクルでしたので、平日はゲームをする時間がほとんどありませんでした。
とは言っても、好奇心旺盛な小学生の男の子。物語の続きが早く読みたいという欲の果てに、どうにか平日にファミコンができないかと導き出した答えは、誰よりも早起きをすることだったのです。
朝四時半に起床してから、登校するまでの間にテレビゲームをするという、悪魔の所業に最初は戸惑っていた家族も「理由は何であれ、早起きをするならよし」と目を
そうなると必然的に、睡眠のゴールデンタイムを満喫していました(多くの成長ホルモンを浴び続けたのに、何故私の身長は161cmで止まってしまったのかと嘆いても仕方がなく)。この規則正しい生活リズムは、大人になった今でも身体に染み付いています。しかしながら22時に寝ることはないですし、朝4時半に起きることもありません。昼夜逆転がないという意味です。
そのような少年時代を送っていましたので、私は毎日ファミコンをプレイできていました。現実世界とは違う幻想の世界、そこで展開される物語に夢中になっていました。学校ではいつも、TVゲームの話題でもちきりです(ドラゴンクエスト派とファイナルファンタジー派に分かれ、この派閥はのちにエアガンを使った山林大戦争へと発展するのですが、それはまた別の機会に書いてみます)。私はドラゴンクエスト3というゲームソフトが大好きでした。
学校の休み時間を使って、攻略ノートの交換や4コママンガ劇場について語ったりと、それはそれはドラクエ三昧な学校生活を送っていました(そういえば、新山たかし先生にファンレターを送ったこともありました。お返事が帰ってきて嬉しかったです)。
当時はインターネットがなかったので、こうしたプレイヤー同士の情報交換が盛んでした。多くのファミコン情報を持っているクラスメイトは人気者でした。他にも公式攻略本やファミコン通信、大技林から攻略情報を得たり、ファミコンの話題だけを取り扱ったテレビ番組を見たりもしていました。古き良き時代です。
今の時代のゲームのように、CGを駆使した綺麗な画面ではないですし、当時はドット絵で音質が悪く、文章も全てひらがなとカタカナ(稀に漢字)という、思い返せば不自由なゲーム機でしたが、それ故に想像力を働かせることが多かったです。勇者として世界へ旅立ち、魔王軍と戦ったあの冒険の日々は、私にとって疑似体験などではなく、青春の宝物として胸に刻まれています。
ファミコンは温かい思い出でいっぱいです。多くの出会いと物語をありがとうございました。あの日から何十年と経った今でも、すぎやまこういちさんの音楽を聴けば一瞬でタイムスリップすることができます。今の子供はファミコンでは遊ばないかもしれないけれど、想像と空想の幻想世界を見つけてほしいと私は願っています。子供の頃に体験するファンタジーは、悠久にこの胸を焦がし続けるのです。