想望手記

朗読家丨国立和歩のブログです。中原中也、高村光太郎等、近代詩の朗読を配信しています。

想望手記

詩の朗読と神の声音

 この世界で唯一無二の文学を作り出すこと。それは恐らく全知全能の神として、世界を創造するに等しいことです。当然ながら私には不可能です。もしそれが叶うのであれば、全ての人に笑顔と幸せが訪れる文学を作りたい、と想像するのは雲の上の文学であり、その白昼夢はきっと一つのメルヘンでしょう。

 しかし、ただの一度でも文学に心を奪われたことがあるならば「自分だけの言葉で表現してみたい、私だけの文学を作ってみたい」と、そのように思われたことがあるのではないでしょうか。いいえ誰しも、覚えのあるものではないでしょうか。きっと私たちが知る小説家や詩人、文芸評論家も同じ気持ちだったのではないでしょうか。

 その一点だけをすくい取って見るなれば、大衆も天才も、人は皆平等に、何らか探求者としての人生を送っていると言えます。それが文学である以上は、読んだり書いたりをしながら、数多の言葉を紡いで生きていくのです。例外はなく皆がそう在るべきで、それは遠い過去から変わることはなく、まるで家族のような連帯感で、始まりの文学と通じていると考えているのです。

 文学への想いがついえた時、私はきっと息をしながら死んでしまうので、瞬きをしながら死んでしまうので、いつも大真面目に向き合って考えています。故に私は誰かに向けて、詩の素晴らしさを知ってほしい等とは申しません。私がそれを口にするのは、烏滸おこがましいにも程があると理解しているので、詩の書けない詩人は代弁者としての表現方法を選択したのです。それは詩の朗読とも言いますし、神の声音とも言いましょう(決して私の声が神々しいという意味ではありません)。

 若気の想いはいくらか有れど、兎にも角にも私は今、大好きな近代詩の朗読をしているのです。それはとてもとても幸せなことなのです。詩の表現の唯一無二を求めて、著者を映し続ける鏡として、これからもこの世界を生きていきます。最後まで読んでくれてありがとうございました。詩人が世界が変えられるとは思っていませんが、優しい気持ちになれる誰かがいるとは、信じてやまないのです。