想望手記

朗読家丨国立和歩のブログです。中原中也、高村光太郎等、近代詩の朗読を配信しています。

想望手記

双月の砂時計

 緩やかに流れていく世界の中では、時間を意識することはないのだけれど、何か予定が近づいてくると少し話が変わってきます。それの時は、目の前に砂時計を置かれたような気分になるのです。

 二つの透明な月を繋ぐ管に、刻々と流れていく時の砂、経過時間を計り終えたのなら、私はそれを上下逆さまにひっくり返さないといけません。そうしないと時間が静止してしまうような、得体の知れない恐ろしさを信じているからです。子供の頃は今と違い、砂時計をひっくり返すと秒針が左に動くかもしれないと思っていました。だからひっくり返すのを怖がっていました。可笑しいですね。

 それ故に砂時計を置かれてしまうと、度々に気になって仕方がなく、いつもそういう感じでありますから、だんだんと予定が近づいてくると時計の針ばかりを気にしています。

 とは言っても、これは私だけに当てはまるものではなく、人は皆、予定の名人だと思うのです。誰しも何らかしら予定があります。例えば、お気に入りの花瓶に水を注ぐことや、カーテンを開けて陽の光を浴びることも、4個入りのシュークリームを少しずつ食べるのも予定と言えるでしょう。中には嫌なことも、我慢が出来ない予定もあるでしょう。そのような時はこうして笑うが良いでしょう。すれば世界は嫌悪の寒気を忘れ、夏から秋へとバトンを渡す暖かさで満ちるでしょう。

 時間に追われないことの大切さは、年齢を重ねないとわかりづらいものです。インスタントコーヒーを飲みながら、ピアノの音を聴いて過ごす時間を愛しく思うのに、私は三十年以上かかりました。老いていくのも悪いことばかりではないのです。

 あと何年くらい私が生きているのかは存じませんが、こうして想いを込めて書き綴った文章が、人知れず電子の海を彷徨さまよい続けると思うと浪漫を感じます。瓶の中に入れられた手紙のように、幾年先の貴方にも見つけてもらえるのでしょうか。