美しいものや綺麗なものに触れると、私はその世界に引き込まれたまま、しばらく帰ってこれなくなります。それが本であるなら閉じることをしないし、花であるなら触れることなく抱きしめるのです。そういった出来事、瞬間の一つひとつは、磨かれた鉱石のように優しい光を放って、私という旅人を夢想の中に閉じ込めるのでした。
私の生活は決して裕福ではありませんが、私の日々の精神は、多くの幸福で満たされています。例えば今の時代、お金がなくても本が読めます。それは所謂イクラかけ放題と同じであり、宝物庫の中から気になる物語を選ぶことで、温泉旅行より豪華な冒険の旅へと出発できるのです。この上ない贅沢なのです。
花を見て美しいと思えるのも幸せですし、3割引きの卵焼きを見つけた時も幸せな気分になります。その幸福の数々は、至る所に点在して私達をじっと待っているのです。そういった日常の中で、もし何かを不幸せに感じたのであれば、それは貴方がわざわざ不幸せを見つけてしまったことになります。不幸というのは自らやってきたりはしないのです。
私は今、そのようにしてこの世界を生きています。悲しみを笑顔に変えて生きています。何年か前は、苦しくなると逃げ出していました。視界に入る全てをなげうったこともありました。そして逃げた先では、何故かまた同じ苦しみが始まりました。それは悠久の螺旋階段を下っているようであり、底見えぬ灰色に助けを求めて、私は何処までも堕ちていきました。
瞳を閉じた世界では、絶望を口にすると愛されて、希望を口にすると傷つけられました。私はそのあべこべの愛情に甘えていました。ここに居れば誰かが私を必要としてくれる。私という小さく愚かな存在を認めてくれる。すがるような心境でありました。しかし本当はどうすればいいかなんて、とっくに気づいていたはずなのに、わかっていたはずなのに、私は不幸せというゆりかごの中で、グレー以外に何もない空を見上げていたのです。
私が幸せを見つけれるようになったきっかけは、たくさんの美しいものに触れる機会があったからでした。それらは全て、私が不幸を見つけてしまう前のものでした。それからの人生は多くの色が混じり合い、彩り深い、豊かなものになりました。小さな幸せにも気づくようになれたのです。そうして日々を過ごしていると、いつしか私の周りにはたくさんの幸せで溢れていたのです。これがこのお話の顛末です。最後まで読んでくれてありがとうございました。
貴方はこの世界で何が一番美しいと思いますか? それでは又。