どうやら何事もなく目が覚めて、いつもの呼吸が始まりました。ぼんやりと天上を眺めていると、段々と世界が鮮明に見えてきます。過去の記憶が一瞬で読み込まれて、私という人間が始まるのです。
私の思い通りの光が窓から差し込んでいないことがわかると、瞼を閉じて小さく深呼吸をしました。傘には大変申し訳ないけれど雨は嫌いです。でも雨上がりは好きです。自然の匂いがいっぱいするからです。お腹が寂しそうです。あれが食べたいといくらか思っても、それが私の目の前まで運ばれてくることはないらしいので、仕方なくこの怠惰を起こそうとするのですが、どうにもこの体はいけません。動こうとすると急におもりをつけられたかのように、ずっしりと抵抗して覇気を奪うのです。私はお布団という繭からなかなか出られずにいたのでした。
昨晩、日本酒などを飲んだせいでしょうか。私は下戸ではありません。私は主にビールとウィスキーを飲むことが多いです。とは言いましても、毎日それを口にしているわけではなく、週に1日か2日、楽しむ程度にアルコールと逢い引きをしています。
ふと中也さんが熱燗を飲んでいる姿を想像して、私もなんだかそれが飲みたくなって、地元にある昔ながらのスーパーで購入したものを勇気を出して飲んだ経緯でした。
しかし、私の家には陶器のグラスがなかったので、電子レンジでそれを温める予定だったのにそれは叶わず、仕方なく常温で口にしたのです。その味は驚くほどに好みでした。とても飲みやすく美味しいのです。そうして一息つくと、何故か亡くなった祖父の匂いがしました。あの頃、祖父のあぐらに収まって一緒に見た女だらけの水泳大会、ダンプ松本さんを必死で応援した幼少時代を懐かしく感じました。以上を踏まえて、日本酒はどうやら私に合っているお酒なのだと確信したのでした。
そうこうしている内にようやく血液が巡ってきて、怠惰の病が弱まった様子なので、私はうんと起き上がってお布団をたたみ、朝の支度の数々を始めました。このような空の機嫌が悪い日は、喫茶店で静かに珈琲が飲みたいと思います。しかし、そういった私好みのお店はとても数が少なく、私の住んでいる街には片手で収まる程しかありません。それにそのお店たちは、常連さんという温かい人々で成り立っているので、私のようなコミュニケーションが苦手な人間は、こうして自宅で珈琲を作るのが一番良いと考えるのです。
珈琲の匂いはありふれた香りで安心します。いつの間にか雨は止んでいて、私の思い通りの光が窓から差し込んでいました。空が晴れると心も晴れます。それはきっとお互い様なのでしょう。キッチンから見えるリビングが寂しそうにしていたので、私は書斎を通り過ぎて、テレビの前に座り、一人だけの珈琲を楽しむ日曜日が始まりました。今日が何度目の日曜日か、私は覚えていないのだけど、日曜日が来る度にちょっとだけわくわくするのは、大人になっても変わらなくてなんだか安心しています。