秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
陽といつても、まるで硅石か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……
夭折の天才詩人、中原中也さんの「一つのメルヘン」です。この詩を読んだ時、すぐに浮かんできたのは宮沢賢治さんの銀河鉄道の夜でした。中也さんが宮沢さんの作品を一つのメルヘンと感じていたなら、この詩は「もう一つのメルヘン」だったのではないかと思っています。
河原は銀河、陽は月光、蝶は己、影は生命、川は涙。そのように当てはめていくと私はしっくりきました。又、さらさらという透明さが無垢なるものを想っているように感じます。
夜空に向かってふと広げた腕、羽を得たような気分になり、なんだか飛べそうな気もするのですが、この影がある故に、俺はまだ、あの銀河にはまだ行けないのだと悟られるのです。故人をいくら想えど、こうして眺め続けるしかない気持ちが涙として溢れたのではないでしょうか。
一つのメルヘンは亡き弟を想う鎮魂の詩であり、己が生きている内はずっとこうして、夜空を見上げて涙を流し続けないといけないのかという哀哭の詩でもあると解きました(個人的見解によるものなので、どうか温かい目でよろしくお願いします)。
中也さんの最大の理解者、評論家の小林秀雄さんはこの詩を「最も美しい遺品」と言われたそうです。最後まで読んでくれてありがとうございました。それではまた。
中原中也とは
中原中也は、日本の詩人・歌人・翻訳家。旧姓は柏村。代々開業医である名家の長男として生まれ、跡取りとして医者になることを期待され、小学校時代は学業成績もよく神童とも呼ばれたが、8歳の時、弟が風邪により病死したことで文学に目覚めた。中也は30歳の若さで死去したが、生涯で350篇以上の詩を残した。
生年月日: 1907年4月29日
出生地: 下宇野令村
死亡日: 1937年10月22日, 神奈川県 鎌倉市
配偶者: 上野孝子 (1933年 - 1937年)
両親: 中原フク、 ナカハラ・カンスケ
学歴: 東京外国語学校 (1931年–1933年)
「中原中也 - ウィキペディア」より引用