空は剥がれて、山には錆が浮き、川が逆さま映る日があります。それは何もない世界が存在しているからなのです。突然に音もなく私を侵食して、気の滅入る場所へと
こういう日に涙が流れないのは、私が此処にないからでしょう。私は時々失くなるのです。そういう時は何をやってもいけません。一人でぼんやりと電球を見つめているのが良いのでしょう。蛍光灯の光はとても苦手なので、頭痛がするくらいに苦手なので、白熱電球は優しくて温かい発明だと思っているのです。このままではいけないとか、何かしないと1日が無駄になると抗えば、それは蜘蛛の糸のように絡みついて、私を真っ白なキャンバスに閉じ込めてしまうので、私はこうして茜色を見つめるのが良いのでしょう。
眼の美しい人が涙もろいのは、たくさんの涙を流しているからだと私は思うのだけど、そういう人は決まって自分のことを泣き虫だと悲観しています。まるで泣くことが悪いかのように申し訳なさそうにしているのです。そうではないよといくら伝えても、私の声はきっと届かなくて、眼の美しい人の悲しみを止めることはできないのです。私もあのような眼で在りたいと思います。思っているのに私は此処にないのです。それがどうにも口惜しくてたまらないのに、暁の太陽はいつまでも溶けることをせず、私の影を伸ばし続けているのでした。最後まで読んでくれてありがとうございました。それでは又。