想望手記

朗読家丨国立和歩のブログです。中原中也、高村光太郎等、近代詩の朗読を配信しています。

想望手記

初恋 - 島崎藤村|現代語訳と解釈|朗読有

初恋
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
 
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
 
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
 
林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
現代語訳
結い始めたばかりの前髪が
林檎の樹の下に見えました
前髪にさしている花櫛のように
花のある美しい方だと思いました
 
君は優しく白い手を伸ばして
林檎を僕に差し出しました
その薄紅の秋の実を受け取って
僕は君に初めての恋をしたのです
 
愛しい君の髪の毛に
僕の吐息がかかって揺れました
そのような恋の楽しさを一緒に
僕の胸で酔いしれてもらえますか
 
林檎畑の樹の下にできた細道は
一体誰が踏み固めてできたのですかと
幸せそうに問いかけてくる君が
愛しくてたまらないのです

 

 島崎藤村さんの処女詩集、若菜集の代表作「初恋」の現代語訳です。普通に読み解いていくとこのように解釈できると思います。この詩は教科書にも掲載されていますよね。

 今回、現代語訳だけでは味気ないので、国立なりに考察して解説していきたいと思います(ふりがな付きです)。良ければ最後までお付き合いください。尚、この詩は文語定型詩(書き言葉で七五調しちごちょう)です。旧仮名遣いで書かれているのでゆっくりと読み解いていきます。

 

第一連

まだあげめし前髪の

 結い始めたばかりの前髪のことです。君が前髪を結い始めたのを知っているということは、僕は前々から君の存在を知っていたことになります。つまりは身近な女の子になります。幼馴染か、それとも高嶺の花か、どちらにせよ何やら恋の予感がします。

 

林檎のもとに見えしとき

 林檎の樹の下に君がいた。それを通りすがりに見たのでしょうか。それとも近くで何かをしていて遠目に見えたのでしょうか。まだ初々しい君の姿を見たのです。

 

前にさしたる花櫛はなぐし
 花櫛というのは、造花で飾り付けたくしです。この時代の少女は髪を結わずに前髪をおろしていました(おかっぱのイメージで大丈夫です)。それが大人の女性になると、前髪をあげて髪を結っていましたから、君の子供から大人への成長を感じた様子です。

 

花ある君と思ひけり

 花のように美しい人だと思いました。前髪に花が咲いているように見えたとも解釈できます。この時、僕は君にドキドキしていたのですね。

大二連

やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは

 この部分、わざわざ白い手と描いているのは、袖がめくれて素肌が出ていたからだと思うのです。君はその手で林檎を僕に手渡したのですね。

 はて、この林檎は木から直接採ったものなのでしょうか。しかし、この時代の林檎は高い位置に生っているので不思議ですね。リンゴ農家の娘さんとかでしたら納得です。何にしてもこの時点で、二人で会うくらいの関係になっています。

 

薄紅うすくれないの秋の実に 人こひめしはじめなり
 薄紅(うすくれない)の秋の実ということは、まだ熟してない林檎ということになります。ここも不思議なのですが、これはあまり育たないままもぎ採られた林檎なのでしょうか。

 その林檎を渡す時に手が触れたりしてドキドキさせられた。だとしたら君は恋の確信犯ですね。君の体温を感じて、初恋という感情を僕は芽生えさせた、ということでしょうか。薄紅という色が、初恋の表現という解釈もあります。

大三連

わがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるとき
 こころなきため息は、無意識にふっと出てしまった吐息ですね。あれ、おかしいですね。大好きな君といて、僕はため息なんてつくのでしょうか。「はぁああ、好きだ」等というため息は、一人で居る時につい出てしまいますよね。

 つまり、僕は息を止めていたのではないでしょうか。息を止める状況……緊張している時でしょうか。

 例えば君を抱きしめていて、ふっと吐息が後ろ髪にかかる。この時、もし横にいたのなら吐息は髪にはかからないはずです。なので、まず正面ではないでしょうか。それもかなり近い距離です。だから君を抱きしめていると解釈したのです。よもやキスはないでしょう。それでしたら教科書には掲載できませんからね。

 

たのしき恋の盃を 君がなさけみしかな

 流れ的にいくと、僕だけではなく君も一緒に、この恋に酔いしれてほしいという意味でしょうか。なさけという表現がとても胸苦しく考えさせられます。

大四連

林檎畑のの下に おのづからなる細道は
が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれ

 おのづからなる細道とは、林檎の樹の下に自然とできた道のことです。これを「誰が踏み固めてこのような道が出来たの?」と君が言っています。なにやら君の小悪魔的な笑みを想像しました。

 そして、そう問いかけてくる君が愛しいのだと、僕は思っているのですね。君はこの問いで、二人の愛の積み重ねがここにあるんだよ、と教えてくれています。

最後に

 この詩を読んで思うのは、女性と男性が対照的に描かれているのに、お互いにロマンチシズムの中に生きているような、恋という青春への熱情を感じさせてくれます。撃ち抜かれたような恋心、ゆらりじわりと傾いていく恋心。未熟な林檎の受け渡しという、純潔な初恋の様子が表現されていると思います。最後まで読んでくれてありがとうございました。それではまた。

 

島崎藤村とは

 島崎藤村は、日本における詩人又は小説家である。本名は島崎春樹。信州木曾の中山道馬籠生まれ。『文学界』に参界し、ロマン主義に際した詩人として『若菜集』などを出版する。さらに、主な活動事項を小説に転じたのち、『破戒』や『春』などで代表的な自然主義作家となった。

出生地: 岐阜県 中津川市

生年月日: 1872年3月25日

死亡日: 1943年8月22日, 神奈川県 大磯町

映画: 破戒、 家、 嵐

子女: 島崎蓊助、 井出柳子、 島崎楠雄、 島崎鶏二

学歴: 明治学院大学 白金キャンパス、 明治学院高等学校

島崎藤村 - ウィキペディアより引用