島崎藤村さんの処女詩集、若菜集の代表作「初恋」の現代語訳です。普通に読み解いていくとこのように解釈できると思います。この詩は教科書にも掲載されていますよね。
今回、現代語訳だけでは味気ないので、国立なりに考察して解説していきたいと思います(ふりがな付きです)。良ければ最後までお付き合いください。尚、この詩は文語定型詩(書き言葉で
第一連
「まだあげ
結い始めたばかりの前髪のことです。君が前髪を結い始めたのを知っているということは、僕は前々から君の存在を知っていたことになります。つまりは身近な女の子になります。幼馴染か、それとも高嶺の花か、どちらにせよ何やら恋の予感がします。
「林檎のもとに見えしとき」
林檎の樹の下に君がいた。それを通りすがりに見たのでしょうか。それとも近くで何かをしていて遠目に見えたのでしょうか。まだ初々しい君の姿を見たのです。
「前にさしたる
花櫛というのは、造花で飾り付けたくしです。この時代の少女は髪を結わずに前髪をおろしていました(おかっぱのイメージで大丈夫です)。それが大人の女性になると、前髪をあげて髪を結っていましたから、君の子供から大人への成長を感じた様子です。
「花ある君と思ひけり」
花のように美しい人だと思いました。前髪に花が咲いているように見えたとも解釈できます。この時、僕は君にドキドキしていたのですね。
大二連
「やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは」
この部分、わざわざ白い手と描いているのは、袖がめくれて素肌が出ていたからだと思うのです。君はその手で林檎を僕に手渡したのですね。
はて、この林檎は木から直接採ったものなのでしょうか。しかし、この時代の林檎は高い位置に生っているので不思議ですね。リンゴ農家の娘さんとかでしたら納得です。何にしてもこの時点で、二人で会うくらいの関係になっています。
「
薄紅(うすくれない)の秋の実ということは、まだ熟してない林檎ということになります。ここも不思議なのですが、これはあまり育たないままもぎ採られた林檎なのでしょうか。
その林檎を渡す時に手が触れたりしてドキドキさせられた。だとしたら君は恋の確信犯ですね。君の体温を感じて、初恋という感情を僕は芽生えさせた、ということでしょうか。薄紅という色が、初恋の表現という解釈もあります。
大三連
「わがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるとき」
こころなきため息は、無意識にふっと出てしまった吐息ですね。あれ、おかしいですね。大好きな君といて、僕はため息なんてつくのでしょうか。「はぁああ、好きだ」等というため息は、一人で居る時につい出てしまいますよね。
つまり、僕は息を止めていたのではないでしょうか。息を止める状況……緊張している時でしょうか。
例えば君を抱きしめていて、ふっと吐息が後ろ髪にかかる。この時、もし横にいたのなら吐息は髪にはかからないはずです。なので、まず正面ではないでしょうか。それもかなり近い距離です。だから君を抱きしめていると解釈したのです。よもやキスはないでしょう。それでしたら教科書には掲載できませんからね。
「たのしき恋の盃を 君が
流れ的にいくと、僕だけではなく君も一緒に、この恋に酔いしれてほしいという意味でしょうか。なさけという表現がとても胸苦しく考えさせられます。
大四連
「林檎畑の
おのづからなる細道とは、林檎の樹の下に自然とできた道のことです。これを「誰が踏み固めてこのような道が出来たの?」と君が言っています。なにやら君の小悪魔的な笑みを想像しました。
そして、そう問いかけてくる君が愛しいのだと、僕は思っているのですね。君はこの問いで、二人の愛の積み重ねがここにあるんだよ、と教えてくれています。
最後に
この詩を読んで思うのは、女性と男性が対照的に描かれているのに、お互いにロマンチシズムの中に生きているような、恋という青春への熱情を感じさせてくれます。撃ち抜かれたような恋心、ゆらりじわりと傾いていく恋心。未熟な林檎の受け渡しという、純潔な初恋の様子が表現されていると思います。最後まで読んでくれてありがとうございました。それではまた。
島崎藤村とは
島崎藤村は、日本における詩人又は小説家である。本名は島崎春樹。信州木曾の中山道馬籠生まれ。『文学界』に参界し、ロマン主義に際した詩人として『若菜集』などを出版する。さらに、主な活動事項を小説に転じたのち、『破戒』や『春』などで代表的な自然主義作家となった。
出生地: 岐阜県 中津川市
生年月日: 1872年3月25日
死亡日: 1943年8月22日, 神奈川県 大磯町
映画: 破戒、 家、 嵐
子女: 島崎蓊助、 井出柳子、 島崎楠雄、 島崎鶏二
学歴: 明治学院大学 白金キャンパス、 明治学院高等学校