想望手記

国立和歩のブログです。中原中也、高村光太郎等、近代詩の朗読も配信しています。

想望手記

同じ型の刻印

 いつも雨が降っています。なんてあまりに物哀しく言うものだから、私は降りそそぐ雪片を思わず手の平で受け止めたのです。それは小さく繊細であり、時折、冬の星座のように綺羅びやかに輝いていました。たとえこの結晶が溶け出しても、頬を伝ったりはしないのでしょう。そう信じて握りしめた指の隙間から、零れ落ちていく雨を見つめていると、眼球に灰色の雲がかかったように、見慣れたはずの視界を覆っていくのでした。

 誰かの過去を知ったからといって、誰かの現在が変わることはありません。例えばとても仲の良い友達がいたとして、その友達が意を決して貴方に打ち明けたとします。私は過去に犯罪を犯したことがあります。あれは20年前のことでした。まさか自分が犯罪者になるとは思ってもいませんでした。被害者のことを思い出す度に胸がキリキリと痛みます。

 そのようなことを告げられた後に、貴方とその方との関係は変わるのでしょうか。恐らく半々くらいで変わると考えた方がいらっしゃると思います。私自身、殺人等の告白を受けたことはありませんが、同じ質量を持った言葉を受け取ったことがあります。その時はどうしていいのかわからずに、ただ一切の恐怖や軽蔑はなく、深い悲しみが私の内蔵を侵食していきました。

 罪と哀情を受け取ると、私はいけませんでした。それが然も自分の記憶であるかのように、黒い激情が神経と血管を駆け巡ったのです。耐え難い憎しみに、許されざる後悔、骨の見える傷口に激痛が走り、断たれた希望の数多が崩れていく。それらは何の抵抗もなく私の心を刈り取っていきました。まるでミキサーにでもかけられたかのように、加害者と被害者の精神が液状化していくのでした。

 そうして私は人を知り、業を知り得ていました。この世界に悪魔のような人間は存在するが、全てのそれは天使のように透き通った魂を有していたはずなのです。同じ形の魂を有していたのです。その純然たる魂を傷つけた天使たちは、あたかもそれが最初からそうであったように、壊死してしまった魂に石を投げて、皆で蔑んだりするのでありました。そのような虚しい繰り返しを強いているのが、紛れもない人間であることが残念でなりません。

 同じ型の刻印がそれぞれに焼き付けられる前に、人々が正気ではないものを作らないように、私はこの耳に届く救いの声を愛そうと思います。たとえそれが悪意に利用されたとしても、救いを求めれば救われることを諦めてほしくはないのです。哀しい雨が千年降り続いても、その手にピストルが握られていても、私は躊躇いなく貴方を抱きしめるでしょう。人が人であることを教えてくれるのは人でしかありません。そのような絵空事を想うのです。最後まで読んでくれてありがとうございました。それでは又。