私は喧騒や雑踏の中から、"クズ"とか"カス"といった悲しい言葉を勝手に拾ってきます。それがどれだけ小さくても見つけてしまうのです。自分が言われているわけでもないのに、見知らぬ声や文字だけが大きくなって、私を覆って殺そうとするのでした。そういう時に辺りを見渡すと、皆はてんで何もないといった表情で私を横目に見ています。いつもそうでした。あぁ、これは私だけが発症する感染症か何かなのだろうと納得する他はないのです。
このような不安や恐怖という感情は、私を檻の中に閉じ込めて守ってはくれるのですが、嵐が過ぎて檻の扉が開くと、いつも決まって私だけが浦島太郎ように歳をとっていないのです。それはもう嫌だと鍵をこじ開けて飛び出すと、私の皮膚は真っ赤に焼けただれて、ぽろぽろと剥がれ落ちてしまうのでした。何故なのでしょうか。私のこの皮膚がもっと厚ければ、無為の紫外線に耐えることも出来たでしょうか。
恐らく強さとは気にしないことであり、気にしないことの難しさは悠久に私を困らせています。それでも生きていくしかないのです。私は精一杯に強く生きたいと思っています。太陽を真っ直ぐに見据えるひまわりのように生きたいと願っています。
この傷はきっと消えてはなくならないけど、檻の中にいる時間を出来るだけ短くして歩んでいきます。私もようやく焼かれても良いと思えるようになりました。最後まで読んでくれてありがとうございました。日傘を差してくれてありがとう。包帯を巻いてくれてありがとう。それでは又。