想望手記

朗読家丨国立和歩のブログです。中原中也、高村光太郎等、近代詩の朗読を配信しています。

想望手記

一度だけ追いかけた夢

 私は月に何回かオートバイに乗っています。バイクは車と違って四季を肌で感じるので、当然の如く夏は暑くて冬は寒いです。やたらにスピード出したりせず、景色を見ながらのんびりと走行するのが好きです。私は過去に、一度だけ夢を追いかけたことがありました。この記事ではそのようなことを綴ってみようと思います。

 私が子供の頃は、バイクや車が盛り上がっていた時代でした。頭文字Dの作者で有名なしげの秀一さんのオートバイ漫画「バリバリ伝説」とか、毎年行われている鈴鹿8時間耐久レースは満員御礼でお祭り騒ぎでした。そういう憧れを持ったまま大人になり、いつしか自分もオートバイに乗るようになり、サーキットで走ってみたいと思うようになりました。しかしサーキットで走行するというのは、峠道を走るのとは全くもって違っていました。想像していた以上に厳しい世界だったのです。

 まずはミニサーキットのスポーツ走行から始めました。この時は片道2時間をどうにか自走で通っていたのですが、行き帰りの移動が体力的にも精神的にもきつくなり、バイクが積める車を購入しました。それをきっかけに、少し大きなサーキットにも遠征するようになりました。バイクを車に積んで片道6時間の旅をしたりとオートバイ三昧の日々を送っていました。

 当時、稼いだお金のほとんどはオートバイ関連に使っていました。身に着ける装備やパーツについては、一度購入してしまえば転倒しない限りは大丈夫ですが、タイヤなんてものはすぐにダメになるし、オイルも値段の高いスポーツ仕様のものを入れていました。加えて滞在費(食事代、宿泊代)、交通費(高速代、ガソリン代)、サーキット費(走行料金、ライセンス維持代、保険代)などを合算すると、毎月とんでもない額のお金をオートバイに使っていたのです。勿論、貯金等はほとんど出来ませんでした。

 そうして月日は流れていくのですが、とある春先のこと。ある日突然、私の中でヒューズがとんだように何かがぷっつりと切れてしまい、予約していたサーキットでの走行をキャンセルしてしまいました。その気持ち自体は突然ではなく、冬の間に考えた結果だったのかもしれません。電話を切った後はしばらく何も手につきませんでした。何をやっても何も感じることはなく、私はこの時、世界が終わってしまったのだと思っていたのです。

 それからしばらくして、散らかっていた夢の整理を始めました。私は夢を諦めたのです。片付いた後に残ったのは、関わってくれた人への多大な感謝でした。私は今まで、オートバイを通じてたくさんの人と出会っていました。そして多くの経験と共に在ったのは温かい思い出でいっぱいだったのです。この上なく楽しかったのです。今思い返しても一切の悔いはありません。あの時、私の夢を笑わないでくれてありがとう。同じ風を共有してくれた全ての方へ感謝しています。

 私は今、もう一度、あの空を見上げています。最後まで読んでくれてありがとうございました。それではまた。