想望手記

小学5年生で統合失調症を発症しました。このブログでは症状や体験談に加えて、精神障害者の生活をリアルタイムに発信しています。記事の内容が誰かの役にたってくれたら嬉しいです。

想望手記

天上の海の下で

 秋の日の午後。窓際の椅子に腰を下ろして、続きを待っている本を開きました。

 こうして至福を感じながら、陶酔の時を過ごせるのは、私が今、私らしく在るからでしょう。誰の意思もなく、誰も意識せずに、景色の一部になっているからです。それにたどり着くまで、私は随分と、遠回りをして生きてきたような気がするのです。

 ページを照らす木漏れ日が、天上の海に帰っていきました。それらを懐かしみ、窓ガラスに手を合わせてみると、その場所はほんのり温かくて、私もできれば一緒に連れて行ってはくれないかと、目を細めながら、風の鳴る音に耳を傾けるのです。

 

 不意に子供達のはしゃぐ声が聞こえました。私の少年時、将来はどんな家に住んでみたいのかと、同級生と話したことがありました。その会話の中で、私は遠くにある町営団地を指さして、あそこならみんなで暮らせるからという理由で、あの大きな建物に住みたいと言ったのです。

 しかし、そのような私が大人になってみると、人里は遠く、隠れるようにして一人で暮らしていました。何故あの時、あのようなことを思ったのか、今の私には理解できないし、子供であった私も、今の私を理解できないのでしょう。毎晩、よくわからない薬を噛み潰しながら、眠れない夜に怯える生涯でも、それでも私は、今日という日が愛しくてたまらないのです。

 

 こぼれていく日々の中、私が大切にしているのは、朝、目が覚めることの嬉しさだったり、蛇口から飲み水が出る喜びだったり、そういった感謝の連続です。その毎日は何ひとつ変わることなく、私という人間をいつまでも形成し続けるのでしょう。私の中に住んでいる少年よ、いつの日か一緒に同じ空を見られたらいいですね。

 

 最後まで読んでくれてありがとうございました。この記事は、はてなブログさんの今週のお題、「こぼしたもの」に参加しています。私は病気が進行していくと同時に、多くものをこぼしてきました。失いたくなくても、それらは指の隙間からぼろぼろと零れ落ちていきました。私はこれからも、日々を大切に生きていきます。この木漏れ日の中で、同じ温もりを感じながら。それでは又。