想望手記

小学5年生で統合失調症を発症しました。このブログでは症状や体験談に加えて、精神障害者の生活をリアルタイムに発信しています。記事の内容が誰かの役にたってくれたら嬉しいです。

想望手記

命を憂う資格

 ちょうど、一週間前のことでした。夜中にカタカタとキーボードを叩いていたら、五百円玉くらいの大きさの蜘蛛と目が合いました。やけに足の長いその蜘蛛は、私の熱い視線に動じることなく、のんびりと机を横断し始めました。

 

 私は思わず手を止めて、しばらくそれを食い入るように見つめていたのですが、その内に蜘蛛は、見えない所へと消えていきました。とても幸運だと思いました。その理由は、この蜘蛛であれば私を困らせているダニを駆除できると考えたからです。蜘蛛がダニを食べるのを聞いたことがありました。最近はアレルギーが急に酷くなっていて、恐らく異常気象によるダニの大量発生ではないかと、目星をつけていたのです。

 

 そうして始まった蜘蛛との共同生活は、なかなか良いものでした。毎日、部屋のどこかしらで鉢合わせては、「今日もパトロールご苦労様です」と声をかけていました。すると蜘蛛は、立ち止まって首を傾げたりするので、その愛らしい仕草に癒やされながら日々を楽しく過ごしていました。その内に蕁麻疹もおさまっていたので、まさに至れり尽くせりだったのですが、先程、その蜘蛛が丸くなって死んでいるのを見つけました。

 呆然としました。命が終わりを迎えるのは仕方のないことです。それは朝が来れば、夜も来るように、私では抗えない自然の理です。しかし、どうすることもできないのに、私はいつも苦しくて仕方がないのです。心の奥底にしまってある、私の一番大切している花を無造作に刈り取られたような、そのような喪失を伴う気分になるのでした。

 

 窓際の蜘蛛をすくい上げて、私は森に向かって歩きました。私は思うのです。命の終わりに向き合うことは、命をもつ者に与えられた使命ではないのかと、そうすることで植物も昆虫も、動物もあの空に昇っていけるではないかと、果たして本当にそうでしょうか、私はこれからもそう自分に言い聞かせて、生きていくしかないのでしょうか。

 本当の死というのは、忘れられて初めて訪れる気がしています。だから私は、目の前の死を覚えていようと思います。忘れてしまったこともあるかもしれないけど、可能な限り覚えていようと思うのです。もし君が、無事に生まれ変われて、私の命の終わりを見つけてくれたとしたら、それもまた自然の理であるのでしょう。そして、生まれ変わったダニはきっと、私を殺すことでしょう。都合の良い命と、都合の悪い命を区別する私に、命を憂う資格はないのです。

 

 最後まで読んでくれてありがとうございました。どれだけ考えても答えの出ないことをいつまでも考えています。そうして気づいた時には、みっともなくもお腹が空いていたりもするのです。どうにも慣れません。それでは又。