最近は、床に溶けていくような日々が続いています。私の頭が壊れてしまったのか、心が破れてしまったのか、そのどちらでもあるのかはわからないけれど、何をしても出力が低く、反動も鈍いこの状態は、あろうことか定期的にやってくるのです。それはどれだけ拒絶しても、間違いなく私のもとへやってくるのでした。そしてこれが、私の診断されている統合失調症の症状であるのかもわからないのです。
精神科医は多くを喋りません。診察はいつも二分程度で終わります。その二分間で話す内容は、「よく眠れていますか」、「何か変わったことはないですか」と、まるで機械のようなのです。そこで何かを伝えたとしても、「そうですか、じゃお薬を出しておきますね」と、いつも同じ言葉が返ってくるので、私はその内に何も言わなくなりました。そうすると先生は、笑顔で私に接してくれるのです。
最初の頃は、幻覚や幻聴、不安、焦燥、恐怖といった出来事を訴えていましたが、それらを先生に伝えると、いつも一瞬だけ、不思議な表情をされました。私はその顔に見覚えがありました。それはこれまで生きてきて、精神疾患のことを誰かに話さないといけない時、又は障害者手帳を提示しなければならない時、そういった瞬間に人様は決まって同じ顔をしていました。
それは、何か人ではないものを見ているようでありました。何故か哀れんでいるようでもありました。よくわからない静かな怒りを向けられたこともありました。私はその鋭利な刃物を避ける術を知りませんでした。いくら調べてもわからないし、それを誰も教えてくれませんでした。
仮に相手に何かを言ったとして、例えば「どうしてそのような表情をされるのですか」と言ったとしても、世界は何一つ変わることなく、時間を刻み続けるのでしょう。それがわかっているから、私はこの世界で生きていけるのです。
小学五年生の秋までは、学校も部活も休まずに行きました。勉強だって自分なりに頑張って、家族や先生に褒めてもらったこともありました。たしかに丁稚だったけど、人の道を外れたことはしていませんし、家のお手伝いだってたくさんしたのに、私は精神障害二級という通告を受けて、悠久の通院を余儀なくされています。近く薬局で受け取る多くの薬を飲まないと、私は家の扉を開けることすらためらう生活をしています。故に烏滸がましくも、「どうして……」と、誰でもない人様に問いかけたくなるのでした。
何故こうなったのか、考えれば考える程にわからなくなります。わからないことで溢れている世界を生きていると、自分の姿を写真で眺めているような気分になります。主観ではなく、客観的に繰り広げられる日々を観ているのは私自身であり、それを私が否定すればする程、世間から遠ざかることも理解しているつもりです。それなのに、こうして公にブログで書きなぐっているのは、空谷の叫び声のようなものかもしれません。
最後まで読んでくれてありがとうございました。まとまりがない文章で申し訳ありませんでした。自分でも何を書きたかったのか、この記事を書き終えた今でもはっきりとしていません。とにかく私は、今、何をしても良くない状態にあります。こういう時は読書や散歩をしながら、ゆるりと過ごしてみようと思います。ここまで読んでくれた貴方に笑顔と幸運を。それでは又。