私がそのお声を知ったのは、cluster(クラスター)という仮想空間でのことでした。パソコンにソフトをインストールをしたばかりで、ヴァーチャルリアリティやメタバースなんて右も左も分からない時でした。
ロビーで迷子になっていた私の耳に不意にきこえてきたのが貴方の歌声でした。その声は何処か泣いているようで、胸の締め付けられるような、頬が斜め上へと引っ張られるような、それは叙情的で世界の終わりを連想させたのです。
私はその歌声に導かれるがままに、貴方のもとへと辿り着きました。遠くにいた時よりも貴方の声は一段と悲しくて、私の心の一番優しい部分を静かに揺らしていました。その時の貴方といいましたら、私など存在しないかのように、いいえ、世界に誰一人も存在しないかのようにただひとりで希望を歌っていたのです。
ギターの音がゆっくりと鳴り止んで、貴方は私に気づくと「聴いてくれてありがとう」と一言おっしゃいました。やわらかく温かい声でした。エモーションも手の振り方も、チャットの打ち方も知らずに、私はただただ貴方の前に立ってじっと路上ライブを見ていたので、貴方は不審に思われたかもしれません。それでも貴方はまるで人形のように見えている私に向かって、歌が終わる度に「聴いてくれてありがとう」とおっしゃるのでした。
そうして貴方のもとへ何度も通っている内に、曲の終わりに拍手をしたり、歌声が跳ねた時は踊ってみたり、落ちサビで手を振ってみたりと、チャットを使ってリクエストも伝えられるようになりました。私はclusterというメタバースゲームに貴方を通じて随分と慣れてきたのです。今では一人で夜空を眺めることも出来るのです。
貴方は稀有な歌声だと思います。少なからず私はその声を聴くことで一つの平穏が訪れたのです。救われたのです。弾き語りや路上ライブなんて田舎暮らしの私にはなかなか目にする機会がありませんが、そのようなことが可能になったメタバースに感謝しています。世界の終わりと始まりを歌う貴方を敬慕しております。
最後まで読んでくれてありがとうございました。私もいつの日かヴァーチャルリアリティの世界で朗読をしてみたいと、おこがましくも考えているのですが、それはまだまだ先の話になりそうです。それでは又。